2015年8月18日火曜日

夏の雲 積乱雲 入道雲 〜シェムリアップ カンボジア〜

機織りの二日目ですが、帰りの車の中からもの凄いものを見てしまいました。とてつもなく大きな積乱雲です。北の空に大きな雲が出ているなあ、とは思っていたのです。それがあれよあれよという間にシェムリアップの街に近づいてきました。

帰りの時間帯である5時過ぎは西陽がきつく、シェムリアップへ向かうにはずっと西に向かって走らなくてはいけないので、昨日はずっと眩しい状態が続いていました。ところがこの日は、眩しい〜、と言っていたのに、北に見えていた雲がどんどん近づいてきて、あっという間に太陽を覆ってしまったのです。

この巨大な積乱雲をどのように説明したら良いのでしょうか。口をあんぐり開けて見てしまうほど、巨大で立派な積乱雲です。思い出したのは、ラピュタの竜の巣と呼ばれた巨大な積乱雲です。まるでアニメかマンガのワンシーンに出てくるような理想的とも言って良いほどの積乱雲です。なんて立派なのだろう、としばし見とれてしまいました。背後に太陽を背負っているので、雲の輪郭は黄金に輝き、その周りは白、そして他の部分は黒、という光の加減も最高でした。幼い頃に戻ってしまったように、この巨大な積乱雲を見ながらわくわくしている自分がいました。シェムリアップに向かって動いているようなので、ホテルに戻ったら外には出かけない方が良さそうです。

まるで映画のワンシーン

何枚も撮ってしまいました・・・

ホテル到着した直後から、スコール直前に吹くあの強くて涼しい風が吹いてきました。あの積乱雲が近づいてきている証拠です。ホテルで少しまったりしていると、雨の音と共に雷の音も聞こえてきました。これはぜひ見たい。

ということで、ホテルの四階に設置されていたバルコニーへ行ってみました。各階にバルコニーは設置されているのですが、二階は木が邪魔で空が見えず、三階は先客がいたため、誰もいなかった四階を陣取ったのでした。普段は日差し除けであろうパラソルを傘代わりにして、用意してあるイスに座って空を眺めます。周りには高い建物などありませんから、広い空を独り占めです。

時折、空が昼間のように明るくなります。雲の中で稲妻が光っているのです。そして真っ黒な夜空に走ったのが稲妻です。この稲妻が見たかったのです。安全な場所にいることがもちろん大前提ですが、稲妻が大好きなのです。雷の音が鳴り始めると、いい大人なのになぜかわくわくしてきてしまいます。できれば稲妻を見たいのです。ところが日本の都会では、高層ビルが邪魔をしてなかないい稲妻を見ることができません。ところがここシェムリアップには高層ビルもありませんし、都会のような人工的な光もほとんどありません。とにかく暗いのです。その中で稲妻が光るのですから興奮しないわけがありません。

雲の中で稲妻が走ればあたり一面が一瞬昼間のように明るくなり、雲の輪郭がはっきり見えます。雲の外側を稲妻が走った時など、ついつい「うわぁ・・・」と声が出てしまいます。一度、ものすごく太くて長くて立派な稲妻が走ったときは、三階からも「おぉ〜〜〜」という声が聞こえてきたくらいですから、やはり稲妻の迫力はすごいものがあります。ただ、光ってから音が聞こえてくるまで12秒ほどかかっていたようなので、それほど近くで光っているようではなさそうでした。あまり近すぎると、「うわぁ」どころではなく恐怖しか感じませんから、これくらいの距離があった方が稲妻鑑賞には適しているのかもしれません。稲妻鑑賞なるものがあるのかどうかは知りませんが・・・。

それにしても本当にきれいです。稲妻を見ながら、贅沢な時間だなぁ、とふと思いました。こんなにぼんやり空を眺めていられるなんて、日本にいるときはまずありません。時間もありませんし、これほど大きな空を一望に見渡せる場所も普段の生活の中ではありません。仕事帰りに空を見上げて、月の姿を見たときに小さな幸せを感じるくらいで、これほど長い時間、空を眺めていられる時間などないからです。ある人にとっては時間の無駄遣いかもしれませんが、こうやって空を見上げて稲妻に見とれる時間が持てることが本当に幸せだとしみじみ思ってしまいました。

暗い夜空に大きな線香花火が散っているように見える時もあり、ただただ見とれてしまいます。稲妻は英語で「God's fireworks」とも言いますが、まさに神の花火です。今でこそ稲妻の発生するメカニズムなどが解明されているのでしょうが、昔の人にとっての稲妻はやはり恐怖の対象でもあったでしょうし、畏敬の念を持って見る対象でもあったでしょう。今でも雷に打たれて亡くなったり怪我をしたりする人がいますし、森林火災などを引き起こしたりしていますから、昔の人にとっては災害が起こらないように、災害を起こさないように、と祈った対象であったかもしれません。仏教では帝釈天となったヒンドゥー教のインドラは雨の神様ですから、雷も司っていたと考えてもおかしくありません。インドラは三つの頭を持つ象を乗り物としていますが、雷の音と象の歩く音をリンクさせていた、と考えるのは考えすぎでしょうか。

雷は少しずつ離れて行っているようでしたが、そろそろ終わりかなあ、と思って部屋に戻ろうとするとまた空が光るので、なかなか戻ることができませんでした。これほど空を見上げていたのは久しぶりです。何度も大きくも繊細な線香花火が夜空に散りばめられるのですから、見逃したくないと思ってしまうのです。気づけば30分以上も座って夜空を眺めていました。幸せな、そして贅沢な時間でした。

余談ですが、バルコニーから近くのフットサルコートが見えるのですが、稲妻が光り、雷鳴が轟き、雨が降っている中で、3面のコートはフットサルに勤しむカンボジア人でいっぱいでした。強いのか何なのか・・・。

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