2015年8月25日火曜日

神へ捧げる踊りを舞うアプサラ 〜アンコールワットとバイヨン〜

初めてアプサラの踊りを見たのは初めてカンボジアを訪れたときですが、それ以来何度となくアプサラの踊りを様々な場所で見てきました。今のところのベストは以前にも書いたプラエ・パカアのアプサラですが、最初からアプサラの踊りに惚れこんだわけではありませんでした。カンボジアが好きだから、アンコールワットが好きだから、アプサラも好きだよね、というくらいの感覚でしかなかった気がします。それが何度も見ている間に徐々に変わっていったのです。

最初のきっかけは今思えば、アプサラの踊りを練習する子どもたちの姿を見たときかもしれません。あの優雅でしなやかな動きが実はどれほどの体力を要するのかを目の当たりにし、あの不自然な手や指の曲がり具合を小さなか頃からストレッチを繰り返してできるようにしている姿などを見たとき、どこか感動している自分がいました。高校生くらいの女の子たちがアプサラ動きを練習しているときでした。とてもゆっくり動く彼女たちの首筋に流れる汗は今でも鮮明に覚えています。

手の平の反りが普通ではないのがわかるでしょうか

はじめは不自然にしか見えなかったあの反り返った手の動きも、今ではその反り具合でアプサラの実力を測っている自分がいます。そしてあの反り返った手こそ、アンコールワットやバイヨンのレリーフに見られるアプサラの手なのです。それを今更ながら意識してしまい、その手を見たいと強く思ってしまったのです。

この手の反りがたまらない!?

アンコールワットのアプサラというと、西塔門の回廊や第二回廊、第三回廊の壁一面に描かれた立ち姿のアプサラの方が有名かもしれません。以前は彼女たちのことをデヴァターとも言っていたのですが、最近はどうなのでしょうか。あの独特の動きをしているアプサラは、第一回廊のレリーフの中でも特に有名な入会攪拌のレリーフにたくさん描かれています。が、今回はアンコールワットの中まで歩いていく元気も時間もなかったので、西塔門の内側にも施されたアプサラに焦点を当ててきました。こちらもあの反り返った手をして踊っているのです。

アンコールワットのアプサラ
この手の反りがまさにアプサラ
バイヨンでは、第一回廊の四隅と東西南北の入口に立つ柱にたくさん描かれています。時代が異なるからなのか、アンコールワットとバイヨンではアプサラの表情はどことなく違います。また、こちらもすべて表情が異なるので、ついつい自分好みの顔のアプサラの写真を撮りたいと、可能な限り、すべての柱の周りをぐるぐる見て回ってしまいました。表情がいいなと思っても、手の部分が欠けてしまっていたり、光の具合でうまく撮れなかったりと、なかなかこれといったアプサラに出会うことが難しかったです。工事の関係で入ることのできない場所もありました。そのような中でも、なかなかいい感じのアプサラの写真を撮ってきましたが。

バイヨンのアプサラ
小さな彫刻ですが手の平が反っているのがわかります
現在、実際に踊っているアプサラの舞は何度も見ていますが、当時のアプサラの舞がどのようなものだったのか、個人的にはとても興味があります。今となっては永遠にわかることはないのでしょう。さらに、クメール・ルージュの時代、伝統芸能の先生も9割以上が殺され、行方がわからなくなりました。そのような中、生き残った人たちが、伝統芸能を復活させようと努力し、ここまで蘇らせたのです。レリーフ残されたアプサラの絵から、動きを再現させたというのですから驚きです。

それぞれの伝統芸能をこれからも大事にして欲しい。そう強く思いながらのアンコールワットとバイヨンの再訪でした。

アプサラの間にお気に入りのガルーダが

2015年8月24日月曜日

風鐸の音色 〜ロリュオス遺跡群〜

午後3時にNくんと共にホテルを出発し、シェムリアップの街から10キロほど離れたところにあるロリュオス遺跡群を見学しに行きました。ロリュオス遺跡群には三つの有名な寺院があり、プラサット・バコン、プラサット・プレア・コー、そしてプラサット・ロレイです。機織りをさせてもらっている工房は昨年までバコンの近くにあり、ロリュオス地区にはよく行っていたのですが、寺院の見学は実は久しぶりです。

まずはロレイへ向かいました、ロレイは他の二つと少し離れたところにあるので、これは他の二つよりも久しぶりの再訪でした。レンガ作りの塔がもともとは5つあったのですが、完璧に残っているものは一つもありません。現在、修復中なのか、すべての塔に足組が組まれ、なんとも痛々しい状態でした。レリーフも破損していたり、失われてしまっていたりするものばかりでした。ただ、ある塔の入り口の柱に刻まれた碑文は一見の価値がありました。

ロレイの塔の破風

もちろん、読めません。Nくんも読めません。古クメール語で書かれているので、文字も変化してきていますし、単語も変わっているので、現代人には読めないのです。もちろん、このアルファベットはあれかな、くらいはわかるものもありますが、基本的にはまったく読めません。それでも、ここロレイの碑文は文字がとてもきれいだったのです。博物館や遺跡で様々な碑文を見てきましたが、これまた文字には個性が出るというか、それぞれの碑文の文字は異なります。素人の私でも、読みやすい字だな、とか、わかりにくい文字だな、という感想を持ちます。その中で、ここロレイに碑文の文字はとても整った綺麗な文字だったのです。

とても丁寧に彫られた古クメール文字
塔の近くには現代のロレイ寺院もあります。そして、オレンジ色の袈裟を着たお坊さんも何人かいました。塔の後ろに回ってみると、小さなオープンエアの小屋があり、子どもたちがお坊さんから何かを教わっているところでした。まさに日本の寺子屋のようです。見学はしても大丈夫とのことだったので、後ろから少し見学させてもらいました。何の勉強だったのかよくわからなかったのですが、先生のお坊さんは子どもたちにいろいろ質問したりしながら授業を進めていて、なんか楽しそうでした。

勉強中
お金がなくてなかなか学校に通えない子どもたちのための寺子屋のようですが、隣の部屋には15台ほどコンピューターまであり、驚きました。どうやら、なんらかのスポンサーやボランティアがいるようで、一応このような設備を整えることができるのだそうです。以前には日本人の日本語の先生もいたのだとか。小さな図書館と書かれた部屋には、確かに日本語の本も数冊置いてありました。

次に向かったのはバコンです。山岳寺院の一つです、個人的には好きな形の寺院です。参道を歩いているときでした。カラーン、コーン、カラーン、コーンととても澄んだ音色が聞こえてきました。近くにある現代のバコン寺院の屋根に取り付けられた風鐸の音でした。風が吹くと、とても綺麗な音色を響かせます。そして気付いたのです。人がいなくてとても静かだということを。

バコンの経堂と現在のバコン寺院

屋根に下がる風鐸

青空に映えるバコン寺院
バコンに残る有名なレリーフ
バコンの塔に残るナーガと昼間の月

ロリュオス遺跡群の三つの寺院すべても東向きに建てられている遺跡なので、写真などのことを考えると、やはり午前中がベストなのはわかっていたのですが、まさかこの時間にこれだけしんとするとは思っていなかったのです。人はぽつぽつは見かけました。ただとても静かなのです。だからこそ、風鐸の音がとてもよく響くのです。自分がいる場所で風が吹いていても、風鐸のある場所では吹いていなかったり、その反対だったり。遺跡に登りきったあとも、日陰に腰掛けてしばし風鐸の音色を楽しみました。日本の塔にも風鐸がありますが、あまり音色というのを聞いた記憶がありません。ここの風鐸が風に揺れやすいのか、私がただ日本の風鐸の音を聞きそびれているだけなのかわかりませんが、とにかくバコンの風鐸の音色がとても印象的でした。

バコンの最上階からの眺め

そして最後のプレア・コーです。こちらもとってもとっても静かでした。プレア・コーも5つの塔がありますが、こちらは修復が終了しているのか、5つとも綺麗に保存されています。破風などにレリーフも綺麗に残っているところが多く、門番のドゥラパーラやアプサラもそれなりに綺麗に残っていました。ここでも碑文が残されていましたが、やはりロレイとはまったく字体が異なります。そして個人的に嬉しかったのは、ガルーダのレリーフがたくさんあったことです。特に破風に残されたレリーフはなかなか見応えのあるものも多く、ガルーダも立派に残されていました。プレア・コーとは聖なる牛、という意味を持ち、塔の前に大きな牛の像が3体ありますが、個人的にはガルーダにばかり目がいってしまいました。

プレア・コーの名前の由来 聖なる牛
聖なる牛 ナンディン
プレア・コーの破風

後ろに立つ三つの塔

何を表しているのだろう・・・

5時半近くになり、西日がきつくなってきました。そろそろ遺跡見学も終了の時刻です。早朝と閉門直前。場所によっては静かに見学することがまだできるのだと、改めて確認できました。




早朝のバイヨン 〜シェムリアップ〜

アンコールワットの朝日を見学したあと、朝食をとる時間も惜しんでバイヨンへ向かいました。時間にして6時半くらいだったでしょうか。さすがにこの時間に観光する人はほとんどおらず、とても静かに観賞することができました。今回、個人的に見たかったのはアプサラですが、そのことについては、また別の記事に書くことにします。

いつもの通り東側の正面入口から入ろうと思ったのですが、なんと修復工事中で入ることができず、南側へぐるりと回ることになってしまいました。そういえば何かの記事で、バイヨンの入り口の両側にある経堂を修復していると書かれていたのを思い出しました。大きなクレーンもあり、相当大々的に取り組んでいるようです。それでも、バイヨンで有名なレリーフはしっかり見学ができるようになっていました。

すでに何度も見たことのあるレリーフだったので、さらりと見てから最上階に上っていきました。頭上にはすでに真っ青な空が広がり、その青空にあのクメールの微笑みをたたえた大きな顔があちこちに見られます。こちらも二つとして同じ顔はありません。それぞれが異なる顔をしていますので、ここでも自分好みの顔を探すのも楽しいかもしれません。部分的に崩れてしまっている顔もたくさんありますし、昔に比べると、顔の輪郭がわかりにくくなってきているとも聞いたことがあります。1000年もの年月が流れていることを考えれば仕方がないことなのかもしれません。自然による崩壊だけでなく、人為的な崩壊が行われていたことも事実ですが。


青空に映えるバイヨン
バイヨンにて
二つの顔が重なっています
それにしても本当に静かです。もちろん誰もいないわけではありませんが、午前中の見学時間もなると、人でごった返すこともしばしばだったので、この静かに見学できる贅沢を久しぶりに味わいました。周りの人を気にせず、同じ場所にしばし立ち続けることができるのも嬉しいことです。好きな顔、好きなレリーフは、時間を気にせず眺めていたいのです。アプサラ以外のお気に入りといえば、ガルーダです。ガルーダは半分が人間、半分が鳥という空想上の生き物で、日本の仏教の中でも迦楼羅として取り入れられています。

頭と下半身が鳥なのですが、なぜか可愛らしく見えてしまうのです。ガルーダはよく奇数の頭を持つ蛇、ナーガと戦っている様子がレリーフに用いられているのですが、その姿がまた可愛いのです。可愛い、というと語弊があるかもしれませんが、個人的にとても好きなレリーフの一つです。

日向にいると、南国の強い日差しが容赦なく照りつけてきて、じりじりと肌を焼いていくのがわかります。それでも日陰に入ると意外に過ごしやすいので助かります。最上階をぐるりと一周し、上ってきた階段とは別の階段を降りて、他のレリーフも見てまわります。大人の両手、頭の上で子どもが踊っているようなシーンはサーカスであろうと言われ、大きな体格をした二人が向き合って今にも組合そうなシーンは相撲だと言われています。バイヨンが建設された時代から、人々の娯楽としてサーカスや相撲のようなものがあったというのは驚きです。それだけ人々の暮らしが豊かだったということも言えるのかもしれません。


相撲の場面
サーカスの場面
全体像

西側で待っていてくれたNくんと合流し、私にとっては少し遅めの朝食を取りにいくことにしました。時間にして7時半頃です。午前中は人でごった返し、車が通過するのも大変な南大門も今はまだ数人の観光客がいるだけで、とても静かでした。

朝食はシェムリアップの街中まで戻ってきてから、Ly Ly Restaurant という以前にも訪れたことのあるところに行きました。もちろん頼んだのはバーイ・サイッ・チュルークです。ここのバーイ・サイッ・チュルークも美味しいのです。唯一残念なのは、私が好きなカンボジアの酢漬けが辛くて食べられない、ということくらいです。一緒にカンボジアのアイスコーヒーも頼みます。甘いのですが、これがまた美味しいのです。そして二人で5ドルです。

このあとはホテルで少しゆっくりすることにして、再度の出発は午後3時にしました。私よりも朝が早かったであろうNくんにも、ゆっくり休んでね、と声をかけて一旦別れました。私もこのあと2時間ほど寝てしまいました。午後は、久しぶりのロリュオス遺跡群を見学しに行きます。


ただただ美味しいバーイ・サイッ・チュルーク

夜の帳が開ける頃 〜アンコールワット〜

久しぶりにアンコールワットで朝日を見に行ってきました。八月下旬の日のでは5時50分頃とのことで、ホテルを5時に出発です。ということは、起床は4時半前。いつも早く寝てしまう私でも4時半というのはなかなか早い時間です。もちろん、迎えにきてくれるNくんはもっと大変ですが。

アンコールワットへ続く道は、すでに朝日を見に行く観光客を乗せた車やトゥクトゥクがたくさん走っています。チケットブースで一日券を20ドルで購入し、アンコールワットへ向かいました。真っ暗だった空がうっすらと明るさを増してきて、目を凝らすとアンコールワットのシルエットが見えるような時間帯です。Nくんは車で待っているとのことだったので、車から降りて一人でアンコールワットへ向かいました。

多くの観光客とガイドが照らす懐中電灯のおかげで、足元が見えなくなるということがないので助かります。西塔門をくぐると、視界が開け、アンコールワット全体の姿を臨むことができます。この瞬間はいつ来ても感動します。もう何度も訪れているアンコールワットですが、やはり素晴らしい建築物だと改めて思いました。

西塔門の回廊の壁面にずらりと居並ぶアプサラたちと一緒に朝日を待つことにしました。西塔門の南側にお気に入りの二人のアプサラがいるのですが、その目の前に腰掛けます。私が座った後すぐに両側が埋まってしまったので、早めに来て正解でした。ほとんどの観光客は、西塔門からさらにアンコールワット近くまで行き、北側にある池の前で朝日を待ちます。定番のスポットですし、池に映るアンコールワットも素晴らしいのですが、なにせ人だらけになってしまうので、最近は西塔門で見ることが多くなっています。

5時半頃に定位置に座ったのですが、まだまだ辺りは真っ暗です。太陽が上がってくるアンコールワットの方角だけ、うっすらと明るくなってきています。私の後ろにはお気に入りのアプサラが二人の、肩を並べて立っています。アプサラは二体として同じ顔を持つものがありませんから、それぞれ異なった顔立ち、表情をしているので、人によって好みも分かれるところでしょう。私が好きなアプサラは、ここ西塔門の南側に立っているのです。彼女たちはここで1000年近くも立ち続け、何万回もの日の出を見続けています。アンコールワットが人々の記憶から薄れていた時期も、ずっとここで微笑んでいたのです。何を思い、何を考えるのか、聞けるものなら聞いてみたい。ここに来るたびに思うことです。

白々と夜が明けてきます。アンコールワットのシルエットは本当に魅力的です。なぜこのような美しくて魅力的な建造物を建設することができたのか。適当になんかもちろん作れるわけがありません。測量技術はもちろん、設計から建築まで、その時代の智を結集して作ったのでしょう。そしてそれを指揮した王、スーリヤヴァルマンII世。どのような気性を持つ王なのか知る由もありませんが、アンコールワットを建設した、というだけで妄想が膨らんでしまいます。

最初は群青色の空です。それがどんどん明るくなり、太陽が昇る直前に雲は赤く染まり、そして太陽が顔を出して眩しい光を辺りに投げかけ始めます。今回思ったのは、群青色のときが一番神秘的かもしれない、ということです。雲が赤く染まるのも十分素敵なのですが、見終わってから思い返したとき、あの夜の帳が開けて行く群青色の空がとても強く印象に残っていました。


一番好きな色合い

アンコールワットの周りにはいい感じの雲も出ていて、その雲が赤く染まるのも十分綺麗です。今までの経験から、もう少し赤くなるかな、と変に待つと、急激に色を失って行くこともあるので、気をつける必要があります。それに、よく絵葉書や写真集で見るような色鮮やかな赤、というのは、一介の観光客が遭遇するには余程の幸運に恵まれているかしか考えられないこともわかっています。あのような写真を撮るためには、何日も通う必要があるでしょうし、最近はデジタル写真ということもあり、色の補正も相当加わっていることがわかっているからです。最初の頃は、あんな色鮮やかな赤色に染まる写真を撮りたい!と思っていましたが、最近はそのときの色で空は十分美しい、と思えるようになってきました。こんな写真が撮りたい、と思うことは大事ですが、この色の写真を撮りたい、とするのは自然に対して失礼かも、と思うようになってきたからかもしれません。


少しぶれました・・・
一瞬染まる雲
太陽が顔を出し始めました

大好きなアンコールワットです。人が多くても、周りがうるさくても、アンコールワットの魅力を失わせるものはありません。今回、中には入りませんでしたが、太陽が昇ったあと一応池のほとりまで行ってみました。ものすごい人です。ずいぶん帰って行ったあとにもかかわらず、人でごった返していました。池のほとりはまだまだ多くの人々で埋め尽くされていて、池に映るアンコールワットはちらりとしか見ることができませんでした。すごかった・・・。

このあとは、そのままバイヨンへ向かいます。

一番のお気に入り 一緒に朝日を眺めました
朝日が当たると金色に

2015年8月22日土曜日

真夏のスコール 〜シェムリアップにて〜

シェムリアップに来てから、毎日午後から夕方にかけてスコールがあります。別の記事にも書きましたが、午後になると黒い雲がむくむくと成長していくのが見てとれるのです。それも気持ちのいい早さでです。

朝は快晴のときも多く、雲一つない状態かあってもぽつぽつ見えるくらいなのですが、午後になるとあちこちで積乱雲の卵たちが空に生まれてきます。それが時間が経つに連れてむくむくと大きくなっていき、最終的に土砂降りの雨を降らせるのです。

ある日の午後、カフェでまったり過ごしていました。外が見える場所を陣取っていたので、空が雲で覆われて行くのがわかりました。黒い雲の面積がどんどん増え、あの風も吹いてきました。雨が降るかなあ、と思って見ていると、案の定降り始めたのです。短時間ではありましたが大粒の雨が空か降ってきて、真夏らしい雨音が響き渡っていました。そのうちに雨も小降りになってきたのでホテルに戻ることにしました。

ところが、歩き始めてから数分後、何となく雨が強くなってきている気がします。ちょっとこれはまずいかな、と思って歩くスピードを早めたのですが、風がまた一段と強く吹いてくるではありませんか。周りの木々が揺れ、木の葉が風で吹き飛ばされて行きます。これはまずいかも、と思った矢先に土砂降りの雨が頭上に降り注いできました。雨だけではありません。風も強く折りたたみ傘では太刀打ちできるどころの話ではありません。ホテルまであと1ブロックほどでしたが、この嵐の中を歩いて行くのは危険だと思い、近くの別のホテルに逃げ込みました。

ロビーで休ませてもらったのですが、その時にはすでに外は強風と土砂降りの嵐です。こんな土砂降りの中を歩いたら、数メートルでびしょ濡れになってしまうでしょう。この強風と横殴りの雨ですから傘なんて役に立ちそうもありません。ロビーに置いてあった新聞を読ませてもらいながら時間を潰しました。

それにしてもすごいスコールです。見ていて気持ちがいいくらいの土砂降りです。そんな土砂降りの中を疾走するバイクや自転車があるのですから驚きです。だいたいほとんどの人たちは、自分のバイクにポンチョ型の簡易レインコートを持っていて、あ、雨が来る、と察知するとすぐにレインコートをかぶります。それでもこの土砂降りですから、顔や足元はびしょ濡れです。自転車に乗っている人は、レインコートを持ち歩いていない場合の方が多いですから、ずぶ濡れになりながら走っている姿をよく見かけます。気にしなければ気にしないでいいのかもしれませんが、貴重品などを身につけていると、さすがにそうも言っていられないのが少し残念なところです。

20分ほど雨宿りをさせてもらっていると、止みはしませんでしたが風が治まったのと雨足が若干弱まったようだったので、ホテルに戻ることにしました。さすがにこの雨だからなのか、走っている車やバイク、トゥクトゥクの姿をほとんど見かけません。そして道には大きな水たまりがあちこちにできています。排水事情の問題です。このような集中的な雨に対応できる排水システムが整っていないので、道路のあちこちで水が溢れてしまうのです。その大きな水たまり上を、たまにとはいえバイクや車がスピードを落とさずに走り去って行くので、ことらとしてはたまったものではありません。歩行者のことなど一切気にしないのがカンボジア。こちらが気をつけていないと、泥水を被ってしまうことにもなりかねません。大きな水たまりの近くを歩くときは、なるべく車がこない頃を見計らって歩くようにしました。

無事にホテルに到着です。スコールは嫌いではないのですが、歩いているときは、ちょっと大変です。

魅惑のカンボジア料理 〜プノンペンとシェムリアップ〜

カンボジアに来たからといってカンボジア料理ばかりを食べるのは、数年前からやめているのですが、やはり美味しいものは美味しいです。カンボジア料理は基本的に味の素を大量に使うらしいので、それはさすがに頂けないのですが、料理としてはなかなか美味しいものが揃っていますし、味の素を除けばなかなかヘルシーとも言えるのではないでしょうか。

私の一番のお気に入りはカンボジアの朝食の定番、バーイ・サイッ・チュルークです。白いご飯の上に豚肉の炭火焼がのっていて、付け合わせにキュウリ、トマト、そしてカンボジアの酢漬けが出てきます。これがシンプルに美味しいのです。美味しい食堂は白いご飯がまた美味しい。日本のジャポニカ米とは違いますが、また違った甘みがあって、このような美味しい白いご飯えお出す店に出会うとものすごく幸せな気分になります。このバーイ・サイッ・チュルークが美味しい場所はいろいろあるとは思いますが、プノンペンでは国立博物館からリバーサイドに向かって歩いて行くと右側にあるブライト・ロータスという食堂、シェムリアップではマスター・スキ・スープというレストランがお気に入りです。それからもう一つ。もっと庶民的な食堂のLy Lyレストランがマスター・スキ・スープの近くにあるのですが、ここのバーイ・サイッ・チュルークもとっても美味です。


ブライト・ロータスのバーイ・サイッ・チュルーク
マスター・スキ・スープのバーイ・サイッ・チュルーク
Ly Ly レストランのバーイ・サイッ・チュルーク

ブライト・ロータスはバーイ・サイッ・チュルーク以外にも、美味しいカンボジア料理が揃っているので、夕食にもよく利用しています。値段も手頃で、欧米人やカンボジア人の利用者も多いようです。ここは基本的に白いご飯が美味しいので、チャーハンとかではなく白いご飯と何かしらのおかず、というセットを注文します。

最近気に入っているのが、カンボジア版卵焼きとでもいうのでしょうか。名前はトゥレイ・プロォマー・チィエン・ポン・ティアというそうです。豚の挽肉が入っている薄い卵焼きとキャベツ・キュウリ・人参・ナスなどの生野菜が付け合わせについてきます。このオムレツはそのままで食べるとしょっぱ過ぎるのですが、生野菜とご飯と一緒に食べると、その塩加減がとってもいい感じなるのです。そういえばウェイターのお兄さんに、アンチョビは大丈夫かと聞かれましたが、名前のトゥレイというのは魚という意味なので、豚肉だけでなく魚も入っているようです。ちなみにポン・ティアというのはアヒルの卵という意味です。カンボジアでは鶏だけではなくアヒルの卵もよく料理に使われるのです。旅行中はどうしても野菜不足になりがちなのですが、このセットだと生野菜もたっぷり取れます。ただ、ナスはさすがにえぐみがきつくて遠慮してしまいました。オムレツにはカンボジア料理では欠かせないプラホックという日本の魚醤に似たものを入れているようです。タイだとナンプラー、ベトナムだとヌクマムと言われているものと同じようなものだそうです。


ブライト・ロータスのトゥレイ・プロォマー・チエン・ポン・ティア
もう一つ今回食べたのが、タマリンドソース付きの魚の炒め物です。魚は淡水魚だと思いますが、白身魚を一度揚げてから野菜と炒めています。そして付け合わせにタマリンドソースが付きます。タマリンドの存在を知ったのもカンボジアに来てからですし、タマリンドの味を知ったのももちろんカンボジアに来てからです。カンボジア料理ではスープの味付けにも利用するそうですが、酸味を出す調味料になるようです。こにタマリンドのソースも酸味のあるソースで、揚げ物をさっぱりさせてくれます。これも白いご飯と一緒に食べるととっても美味。


ブライト・ロータスのタマリンドソース付夕食

そして、機織りの時の昼食で頂いたのが、まさにカンボジアの庶民の味です。カンボジア人以外いません。私一人ではまず入れないでしょう。
怖いとかではなくて、英語はまず通じないでしょうし、注文の仕方もよくわからなかったからです。幹線道路の脇にある食堂なので、遊びに行く途中の家族グループやトラックの運転手などがよく食べにきているようでした。

このような庶民派の食堂は実はたくさんあります。このような食堂にはメニューはありません。この食堂のおばちゃんがその朝に作ったスープやおかずが台の上に並べられ、客はそれらの鍋を覗きながら欲しいものを注文するのです。白いご飯は何も言わなくても付いてきます。そして注文したおかずが皿に盛られてテーブルに運ばれてきます。自分が食べたいと思うものがない時はどうするのかしら、とも思いますが、意外と大丈夫のようです。三日間通いましたが、だいたいスープが2、3種類と炒め物系2種類ほどあるようでした。

ドライバーでもあり友人でもあるNくんが鍋の蓋を開けるたびに中を覗き込みますが、すぐに何かわかるものもあれば、何が入っているのかよくわからないものもあります。それでも食べてみるとみんな美味しいのですからうまくできています。


一日目の昼食
二日目の昼食
三日目の昼食

意外に気に入ったのが豚肉の挽肉であろうものをプラホックで味付けした炒め物です。これをキュウリやキャベツなどの生野菜と一緒に白いご飯と食べるのですが、これがまたとっても美味しい。ただ、二日目に食べたときにとても美味しく、三日目もあったので注文すると、三日目は二日目のものに比べて少し辛かったのが少し残念でした。辛いものがまったく食べられないので、少しでも辛いと美味しさが半減してしまうのです。「辛くないと美味しくないよ」と辛い物好きの人は言いますが、私は美味しいも何も辛いものを口いれると口の中が痛くなってしまうのでダメなのです。辛いのではなくて痛いのですから、美味しいもへったくれもありません。

スープは基本的に外れたことがありません。もちろん辛くない、ということが大前提ですが。今回も魚入りのスープ、鳥肉入りのスープ、タケノコ入りのスープなど、すべて美味しくいただきました。さすがに庶民の食堂なのでご飯が美味しいというわけにはいきませんが、1人2.5ドル、300円程度ですから十分です。

昔は飲み物は缶ジュースをよく注文していました。水を食堂で注文する、というのは日本人の感覚からするとお金の無駄遣いのように感じて知ったからでした。ところが、やはりジュースだと甘いですしさっぱりしたいときには合いません。ということで、最近は普通に水を注文するようにもなりました。水がただで出てくるなんて日本くらいということですね。疲れていて甘いものが飲みたい時に最近はまっているのが豆乳です。日本にももちろん豆乳はありますが、カンボジアの豆乳は甘いのです。で、これがまた意外と美味しい。特に疲れたときはとっても美味しいのです。日本にいるときは甘い豆乳にはまったく触手が動きませんが、なぜかカンボジアでは飲みたくなる味です。

シェムリアップ街中でよく行くレストランは、vivaというメキシコ料理の店と、ル・ボウランジェリーというパンが美味しい店です。vivaではもっぱらタコスを注文するのみです。というのも、カンボジアに来るとついつい食べ過ぎていまいお腹の調子が悪くなるのですが、一人分を注文すると欧米人サイズなのか量がとても多いのです。残すのも勿体ないし、と思って食べ過ぎてしまっていたのでした。ところがvivaではタコスを一つから注文できます。ですので、夕食時にはタコスを二枚で済ませてしまうことも多々あります。また、最近では昼食を遅めにして、夕食を抜くことも増えました。ときどき、夕食としてアンコールビールとおつまみだけ、ということもします。カンボジアにいるときは、とにかく食べ過ぎに要注意なのです。

ル・ボウランジェリーはパンが売りのようで、欧米人の客が多いようです。ここでの私のお気に入りは、カンボジア版サンドイッチ、ノンパン・パティです。市場や屋台でもよく売っているもので、フランスパンの中にいろいろな具材を挟んで食べます。屋台などでは一つ1ドルしない程度で売っているのですが、もちろんル・ボウランジェリーではお値段は高めの3ドルです。数年前までは2.5ドルだったのですが、値上げされてしまいました。もちろん外国人向けに作られているので、味は申し分ありませんし具沢山でもあります。フランスパンは外側がカリカリ、中がもっちりとしていてこれだけでも十分美味しいのですが、中に豚の挽肉と玉ねぎを炒めたものが挟まれてあり、付け合わせにキュウリやトマト、そして大好きなカンボジアの酢漬けが添えられてきます。不思議なのはさらにハムも付いてくることです。挽肉だけで十分な気がしないでもないのですが。ここのノンパン・パティは本当に美味しいので、シェムリアップに来ると、必ず一度は食べにきています。


ル・ボウランジェリーのクメール・サンドイッチ

カンボジアに来始めたころは、地元の食堂や屋台で食べるなどということはありえなかったのですが、外国人観光客が爆発的に増えたこともあり、多くの食堂や屋台が観光客向けの運営スタイルに変更してきました。メニューを作成し、写真と英語を併記し、水や氷にも気を使うようになったようです。もちろん、一歩街を出ればまだまだローカルな食堂ばかりですが、シェムリアップは変わりました。このことについてはまた別の記事にて。

まずは美味しいカンボジア料理の紹介でした。

知人の家で頂いた昼食