2014年12月30日火曜日

バンテアイ・チュマール カンボジア

暑い(^-^) カンボジア人にしてみると涼しいようだが、極寒の東京から来ると、やはりカンボジアは暑い。もちろん嫌な暑さではないし、乾期ということで、雨期の汗が噴き出るほどでもない。やはりカンボジアでは過ごしやすい時期だと思う。

が、その分、観光客の数もハンパない。年末年始だから多いとは覚悟していた。それでも、シェムリアップの空港に着いて、ぞろぞろと歩く多くの観光客を見て、ビザカウンターの長蛇の列、そして入国審査の長蛇の列を見て、この時期にカンボジアに来るのはやめようか、と本気で思ってしまった。

それでも、出口でいつものドライバーくんの顔を見つけた瞬間、やはり笑顔がこぼれてしまう。今回、このドライバーくんはすでにVIPのドライバーとしての予約が入ってしまっており、初めて一緒に行動することが叶わなかった。いつも一緒にいたので気心がしれていたし、彼のカンボジア語にも慣れていたので、新しいドライバーさんとどうなるか実は少し不安だった。それが、時間があったから、とわざわざ空港までそのドライバーさんと一緒に来てくれていたのだ。嬉しいに決まっている。今回お世話になるドライバーさんのワゴン車に乗り込むと、ドライバーさんが、一緒に後ろに乗りなよ、と言ってくれた。ホテルまでの10分ほどの時間だったが、会うのは難しいかな、と思っていただけに余計に嬉しい。もし会えたら、と思って用意していたお土産も渡すことができた。私がくると、日本のお菓子が食べられる、と喜ぶ息子くんもきっと喜んでくれるだろう。彼の家族もみんな元気だということで、こちらも嬉しくなる。

そして今日、バンテアイ・チュマールへ行ってきた。とにかくアンコール・ワット周辺は大変な混みようだろうからと、今回は久しぶりに遠出することにしていた。シェムリアップから西へ150キロ程だろうか。以前は4、5時間かけて悪路を行ったのだが、今回は3時間強で行ってしまった。途中、道路工事中の場所が何箇所もあり、赤土の部分もまだ多く残されているが、ほとんどスピードを落とさずに走れるほどに改善しているのがすごい。相変わらず、道路工事中にもかかわらず、車がその合間をぬって走ってしまうのがカンボジアらしいが。

そしてバンテアイ・チュマールだ。思った通り誰もいない。一人で東側から壁の内側へ足を踏み入れる。ほとんど崩れ落ちてしまっている大きな石の上を足を滑らせないようにゆっくり歩く。入った瞬間、さわっと吹く風に頬を撫でられ、なぜか心が飛んだ。こに感覚が好き、この感覚を味わいたかった、そう思える風と空間だった。一瞬、自分がどこか遠くの場所へ連れ去られたような、時代を遡ったような、そんな感覚でもあった。

バンテアイ・チュマールのレリーフの一部
それにしても瓦礫だらけだ。いたるところに彫刻が残された石もあり、足を乗せるのが申し訳ない。ただ、石以外のところに足を乗せるのは実は危険なのだ。石以外の部分は枯葉や草に覆われているので、うっかり足を下ろすと実は空洞になっていたということもある。だから浮石に気をつけながらも石を足場にした方が安全なのだ。

崩れ落ちた巨石
巨大な石が行く手を阻む
遠くにガルーダのレリーフが見られる
それでも、足元がおぼつかない場所も多々あり、無茶はしないようにする。私の今回の一番の目的は、千手観音を見ることなのだ。途中、クメール語しか話せない男の子が現れてガイドらしきことをしてくれた。といっても、千手観音の場所まで案内してくれたくらいで、まあ彼がいなくても見つけることはできたと思う。それでもしっかり一ドルをねだられてしまった。断ってもよかったのだろうけれど、嫌な思いもしたくなかったので渡すことにした。渡して少しすると、そろそろ行くね、といなくなってしまった。まあその方がゆっくり千手観音を見ることができるので、私としてもその方が良かったのだが、わかりやすいな、と苦笑してしまう。

千手観音は二体残されている。元々は六体あった。ところが、四体が盗掘にあってしまい、二体は取り返されてプノンペンの国立博物館に展示されているが、二体は依然として行方不明だ。残された二体は、個人的に国立博物館の二体よりも好きである。バンテアイ・チュマールに残されている方が、手の数も多く彫刻も丁寧な気がする。

千手観音
もう一つの千手観音
千手観音の御手
千手観音の反対側の御手
千手観音の足元で踊りを捧げるアプサラ

千手観音の前に積み上がっている崩れ落ちた石の上に座って、少しゆっくり眺めていた。一人のいいところは、好きなだけ好きなものを眺めていられる、というところだろう。日本の千手観音とはもちろんずいぶん雰囲気は異なる。でも、カンボジア人のグループが来て、千手観音の前に座り、声を合わせてお経を唱えている姿を見たとき、同じだな、とも思った。

千手観音の前で祈りを捧げる
帰りの道も順調で、午後4時過ぎにはシェムリアップに戻ってきた。久しぶりのバンテアイ・チュマール。良かった。

ガルーダのレリーフ
入り口付近で一人の僧侶が瞑想していた

2014年12月22日月曜日

やっとカンボジアへ

あっという間に年末になってしまった。仕事は一応一息ついているところで、今週は割合とゆったりと仕事ができるはず。そして27日が今年最後のお仕事。そして年末は念願のカンボジアへ!

今回はいつもより遅い出発なので、一週間ほどしかシェムリアップに滞在できないのだけれど、行けるだけでも良しとするべきか。今回の目的は二つ。一つは久しぶりにバンテアイ・チュマールやコーケーを訪れること。もう一つは布を織ること。

バンテアイ・チュマールやコーケーは久しぶりの訪問になる。奈良にはまり、仏像に興味を持ち始めた今、もう一度バンテアイ・チュマールの千手観音を見たいと思った。もともと、バンテアイ・チュマールの千手観音は好きで何度か見に行っているのだが、やはり仏像に興味を持ち始めた今、もう一度そういう目で見てみたいと思ったのだ。

そしてコーケー。こちらはピラミッド型の寺院があるのだが、数年前から上に登ることができなくなっていた。塔やピラミッド型の寺院など、上に登って周りの景色を眺めるのが好きなので、登れなくなってしまったと聞いたとき、コーケーの魅力が半減してしまった。そして、登れないのなら行かなくてもいいや、と思っていた。ところが今年、新しい木製の階段ができて上に登れるようになったと聞く。であれば、ぜひまた行ってみたい。

二つ目の目的の布。今まで何回もある工房でクロマーを織らせてもらっている。何種類かの幅や色で、今までにすでに10枚以上はクロマーを織っているだろうか。顔なじみの女の子たちも増え、家にも遊びに行かせてもらったりして、親交を深めてきている。そんな中、クロマーではなく布を織ってみたらどうか、というアドバイスを頂いた。そしてその布を仕立てに出してシャツでも作ってみたらどうかと。まったく考えたことがなかったことだったので、なるほど!と思った。自分で仕立てるほどの腕はないので外注になるが、自分で織った布で仕立てたシャツなんてすごいではないか。

ただ、シャツを仕立てるには4mほど必要らしい。一日に1m~1.5mほどしか織る力はないので、最低三日間は必要になる。となると、バンテアイ・チュマールやコーケーを抜かすと、ほとんど毎日工房に通う必要がありそうだ。それでも、なんとか仕上げたいと思っている。出来上がったら、このブログで紹介できればとも思う。

さてさて、あと一週間。カンボジア行を楽しみにしながら頑張ろう。

2014年12月15日月曜日

天地明察 渋川春海

沖方丁の「天地明察」を読んだ。

泣いてしまった。それも何ヶ所も。もちろん感動したということなのだろうが、それよりも心にぐっとくるものがあった。

興味のある分野の和算や関孝和がからみ、算額が扱われ、とにかく単純に面白い。そして、「天に触れる」という大きな想い、人々とのつながりなど、多くの場面で感動してうるうるしてしまった。自分でもなぜこれほど泣いてしまうのか苦笑してしまうのだが、いろいろと考えさせられたのは確か。

未知の事柄に対する憧れと、それを解明してみせようという心意気。周りにいる様々な魅力的な人々。わからないことが多すぎた時代だからこそ、それを知りたいという渇望もまた強かったのかもしれない。現代に比べれば「無駄」や回り道もたくさんあったかもしれない。でもその時間をかけて無駄なことに挑戦し、回り道をたくさんするとができたからこその偉業だと思う。

すべてにおいてスピードが求められる今のような世の中であるからこそ、渋川春海のような人の一生を知ることは大事なことのような気がする。

普段は通勤途中の電車の中で読むことが多いのだが、今回は一気に読みたくて家で読んでいた。電車の中で読まなくて良かった。電車の中で一人本を読みながら泣いているなんて、さすがに恥ずかしい。

久しぶりに心をグッと掴まれる小説を読んだ。

2014年12月10日水曜日

奈良と京都

どうも京都がしっくりこない。

久しぶりに京都に行ってきた。入ると思っていた仕事が入らないとわかったので、急遽京都日帰りパックを購入してしまった。紅葉もほとんど終了していたし平日でもあることから、それほどの人混みにはならないだろうとも思った。実際、ほとんどの場所では静かに見学することができた。

それなのに。奈良の方が好き、奈良に行けば良かった、と思っている自分がいる。

訪れた龍安寺は、たまたま中学校の修学旅行の団体と鉢合わせになり騒がしかったが、石庭はやはり心落ち着く好きな場所には変わりない。ほとんどの生徒が、石の数を数え、15個見えるとか見えないという会話に終始していたのには笑ってしまったが、15分ほどでいなくなったので、まあそれなりにゆっくりはできた。

大徳寺の四つの塔頭の石庭はほとんど誰も居らず、それこそ静かにゆっくりする事ができた。初めて訪れた大報恩寺の六観音の仏像も確かに美佛で素晴らしかった。

それなのに、である。京都にいるとなぜか落ち着かなくなってくる。どこかせわしない感じがして、ふぅ~、と息をつける感じがしないのだ。あまりにもたくさんの有名な神社仏閣と人々の生活がぎゅっと凝縮されすぎている感があるからかもしれない。それが京都の良いところだと言う人もいるだろう。ただ、私には合わないようだ。好きなお寺や仏像はあるので、たまには来たいと思うが、今のところ、心奪われるのは奈良のようだ。

そのような中でも、今回の日帰りパックで心が落ち着いた場所が一カ所ある。東寺だ。もともとはこぢんまりしたお寺が好きで、大きなお寺はやはり落ち着かなくて苦手なのだが、東寺は大きい割にはなぜか落ち着く。

一番好きなのは金堂だ。一般的には講堂の立体曼陀羅と呼ばれる21躰の仏像の方が有名かもしれない。それでも私は金堂の方が好き。まず金堂の建物そのものがいい。屋根の反り具合から柱の太さや組み方まで、繊細かつ堂々としていて好きである。さらに、安置されている仏像だ。薬師如来を中心に日光・月光菩薩が脇を固め、薬師如来の台座の側面にはずらりと十二神将が並んでいる。講堂に比べるととてもシンプルなのだが、好きな仏像たちばかりなので、ついつい見入ってしまう。さらに、自分の干支の神将がイケメンとあればさらにである。あまり人がいないのを良いことに、正面に座ってしばし眺めていた。

次に好きなのが、実は食堂だ。食堂は昭和8年の出火の際、本尊の十一面観音や四天王が焼けてしまった。その焼けて黒こげになった四天王が、現在の食堂に安置されている。高さ3メートル以上もある大きな四天王で、炭化してしまっているがすっくと立っている姿は勇ましい。腕は失われ、表情もほとんど読み取れないような状況にまで真っ黒になってしまっているが、なぜかその姿には感動を覚える。火にも負けない木の強さを訴えているような、そんな力強さを感じてしまう。

説明文には修復のための献金のお願いが書かれていたが、個人的には今のままで残して欲しいくらいだ。真っ黒に炭と化した姿でさえ、これだけ感動させられてしまう。もしかしたら、元の姿よりも感動しているのかもしれない。そんなことで、この食堂を意外と気に入っている。

外はすでに日が落ち始め、気温が下がり、風も強くなってきていた。雨雲が所々にあって、時折ポツリとしたものも感じた。そして見上げた空に大きな虹がかかっていた。最初のうちはきれいな半円を描いていた。

終わり良ければすべて良し、としておこうか。たぶん、当分は奈良通いの方が多くなる。でも、たまには京都にも来ようとは思う。そうしているうちに、少しは京都への思いはプラスに変わっていくだろうか。

木の影がなんともいい感じだった龍安寺の石庭
大報恩寺からの帰り道に寄った粟餅のお店 美味

2014年12月9日火曜日

湖北の観音さま

井上靖氏の「星と祭」に出てくる観音さまに会いに行ってきた。初めて予約をしないと見られないところにも行ってきた。

以前から、湖北には多くの十一面観音がいる、ということは聞いていたが、予約をしないと見られないということも聞いていて、なんとなく面倒な感じがしていた。そんなとき、海住山寺で湖北の十一面観音の話を聞き、自分でさらに調べていく中で、これはやはり会いに行くべき観音さまたちだ、と思うようになった。

ネットを調べる中で、赤後寺、西野薬師堂、石道寺が割合と行きやすいようだったので、まずはそこから始めることにした。事前に赤後寺と西野薬師堂と担当者の携帯電話の番号を、観光センターに電話して聞いておき、それぞれの番号に電話して日時を予約させていただいた。赤後寺も西野薬師堂も、お寺があって住職がいて、というものではなく、村の人々が年ごとに世話役を引き受けている。村の人々に大事にされてきた観音さまたちなのだ。

赤後寺には二体の観音さまがいたが、二人とも手首から先がすべて失われていた。戦火から守るために、村人たちが仏像を川に沈めて守っている間に流されてしまったという。痛々しい姿ではあるが、素敵な観音さまでもあると思う。
赤後寺へ向かう道
赤後寺のお堂
西野薬師堂にも二体、安置されている。こちらは赤後寺の観音さまたちと比べると、背も高くキリッとした男性的な観音さまたちだ。村人たちが守っている観音さまがこれほど素晴らしいとは正直驚きだった。

さらに、西野観音堂から15分ほど歩いたところに正妙寺というお堂があり、ここには千手千足観音という珍しい観音さまがいると聞いたので、急遽電話をして開けてもらうことにした。突然で申し訳なかったのだが、快く開けてくれる。高さは30センチ程だろうか。観音さまには珍しく怒った顔をしている。そて何よりも足の数に驚く。もちろん千本の足が実際にあるわけではないが、たくさんの足がある。千手観音は多く見かけるが、千足観音はここだけにしかないのではないか、ということだった。


今回の湖北巡りで一番印象に残り、なおかつ気に入ったのが石道寺の十一面観音さまだ。うっすらと彩色の残るとても可憐な観音さまで、井上靖氏が「村の娘」の表現した理由がよくわかる。本当に素敵な観音さまなのだ。この観音さまはまた会いに来たいと思う。いや、湖北の観音さまには全員また会いに来たい。そして、その中でも絶対に外せないのがこの石道寺の観音さまだ。

石山寺へ来る途中の鶏足寺の跡の紅葉も、鶏足寺にもともとあった多くの仏像が収蔵されている己高閣や世代閣も素晴らしかった。何もないと思っていた湖北が一気に魅力あふれる場所になった一日だった。
己高閣という名の収蔵庫
鶏足寺跡と紅葉
ただし、足は大変だ。一時間に一本のコミュニティーバスを予約したり、一時間に一本の電車に合わせて行動したり。マイカーであれば何の問題もないが、個人的にはこの公共の交通機関と足にこだわっている。まあ、車を運転するのが嫌いだから仕方ないだろう。それに、コミュニティーバスはとってもローカルな乗り物なので、意外に好きでもある。

今度はいつ来ようか。帰りの新幹線の中ではそればかりを考えていた。

2014年12月7日日曜日

湖南三山 紅葉巡り 常楽寺編

湖南三山で最後に訪れたのは常楽寺。閉門まで一時間ほどということで、それほどの混雑ではなかったが、やはりそれなりに参拝客は多くいた。

塔好きにとって、入ってすぐに左の高台に三重塔が見えるのは嬉しい。普段は無住ということで解放されておらず、この紅葉の時期のみ一般公開されているという。

常楽寺の本堂と三重塔


本堂の仏像は素晴らしかった。ご本尊は秘仏なので拝観することはかなわないが、本尊の厨子の両側にずらりとならぶ仏像たちは圧巻だ。特に左右に並ぶ小振りの二十八部衆は素晴らしい。二十八部衆といえば京都の三十三間堂を思い出すが、ここ常楽寺の二十八部衆は小さいながらも迫力のある堂々とした立ち姿である。悲しいのは、その二十八部衆のうち三体が盗難にあったこと。そして未だに二体が行方不明ということだ。盗難に遭いつつも戻ってきたのは阿修羅像で、興福寺の阿修羅とはまったくことなり憤怒象の阿修羅だが、これはこれで素晴らしい。

仏像の盗難は悲しい。カンボジアでも、様々な彫刻や彫像が盗難に遭っている。無残にも削り取られた彫刻など見ていると、本当に悲しい気持ちになってくる。お寺の周りに住む人たちが大事にしてきている信仰の対象を、金目的で盗み出すということが悲しい。だからなのだろう、本堂の中には防犯カメラがはっきりと見え、リュックなどは背負わないように、という注意書きまであった。最初はずいぶんと物々しい雰囲気であまりお寺にそぐわないな、と思っていたのだが、盗難のことを知って納得した。いつか盗難にあったままの二体が戻ってくることを祈りたい。

三重塔にも行ってみる。 なかなかすっきりとした三重塔で、紅葉と重なってなかなかきれいである。三重塔の後方に遊歩道もあるので、三重塔の後姿を見ることができる。さらに少し高みからも見ることができるので、塔好きにはなかなかいい感じの遊歩道になっている。
三重塔

ぐるりと遊歩道を歩いたあと、もう一度本堂に入った。誰もおらず一人だったこともあり、厨子の両側に立つ二十八部衆を行ったり来たりしながら見比べることができた。本堂の後方には、こちらも小さな十二神将が立っており、こちらもなかなか見応えがある。小ぶりの十二神将といえば、岩船寺のかわいらしい十二神将を思い出すが、常楽寺の十二神将はサイズは同じくらいだが、かわいらしいというよりきりっとして凛々しい。

すでに閉門間際ということもあり、境内にはほとんど人がいなくなっていた。普段はこのような感じなのだろう。普段は一般公開されていないということなので、人がほとんどいないときに訪れることができないのは残念だが、また来年の紅葉の季節に機会があれば訪れたいと思った。

バス停には誰もいない。十分程待ってバスに乗り込み、石部駅に戻ってきた。石部駅から乗る電車が来るまで40分近くあったので、待合室でテレビを見たり、本を読んだりして時間を潰す。このときが今回の旅で一番待ち時間が長かった。

湖南三山。思ったより見応えがあった。特に善水寺はお気に入りに追加。新緑の頃にまた訪れてみよう。









2014年12月4日木曜日

湖南三山 紅葉巡り 長寿寺編

湖南三山の二つ目は長寿寺だ。

善水寺の最寄駅の甲西駅から長寿寺や常楽寺の最寄駅となる石部駅までは一駅なのだが、走っている電車の本数が少なくて、まずは甲西駅で15分ほど待つ。さらには、石部駅で長寿寺へ向かうバスの出発を10分以上待つ。地方の観光を公共の交通機関だけで行おうとすると、相当待つことになる。その分、いろいろと考えたり、思いを巡らせたり、行ってきたところをもう一度思い起こしたりできるので、次から次へと移動するよりもしかしたら贅沢なのかもしれないと思っている。

さて、その長寿寺だが、善水寺以上に人がたくさんいた。受付を入ってからの参道がとてもきれいであり、さらには境内のもみじもなかなか見応えがあるためか、団体客の姿が目立つ。そんなこともあり、境内に入って仏像を拝観したはずなのに、まったく記憶からすっぽり抜け落ちてしまっている。善水寺の仏像も、次に向かう常楽寺の仏像も割と鮮明に覚えているのだが、長寿寺だけがない。

長寿寺の本堂
もみじと本堂

係の人はとても親切で、長寿寺から常楽寺へ向かう道を丁寧に教えてくれた。バスで移動しようと思っていたのだが、バスの時間まで30分近くあるのと、歩いて15分ほどだということで、歩いていくことにした。少し坂がありますよ、と言われた通り、まずはだらだらと坂を上っていく。そしてまただらだらと下って行ったところ、目の前に集落と田園風景が広がり、左手の奥の方に三重塔とお寺らしき建物が見えてくる。坂の感じからして、常楽寺から長寿寺へ向かう方がきつそうだ。長寿寺方面に歩いている人も数名見かけたが、少し辛そうだった。

そんなことで、長寿寺の記憶が写真のものくらいしかない。また機会があったら訪れて、本堂内をもう少し丁寧に拝観させてもらおう。




2014年12月2日火曜日

湖南三山 紅葉巡り 善水寺編

初めて湖南三山に行ってきた。湖東三山が有名になり、湖南三山もその影響を受けて始まったようだが、善水寺、長寿寺、常楽寺の三つのお寺を呼ぶ。湖南三山はこの紅葉の時期にのみ公開する常楽寺など、普段はあまり訪れる人もいないようだ。まあ、湖東三山も普段はほとんど人がいないような気もするが・・・。

この湖南三山を巡るのもなかなか難しい。マイカーであれば何も問題はないのだが、とにかく公共の交通機関と歩き、と限定するとなかなか大変である。もちろんその準備をしているときも楽しいので別に嫌ではないのだが、いろいろと考えさせられる。例えば善水寺だが、最寄駅の甲西からバスに乗り、岩根というバス停から10分ほど歩いた所にあるという。しかしそのバスが一日に8~10便ほどしかない。一本を逃すと1時間から一時間半さらに待たなくてはいけなくなってしまう。さらに、長寿寺や常楽寺の最寄駅となる石部駅に行くにも、甲西からたった一駅なのに、電車も30分に一本しかない。接続や待ち時間を考慮しながら、これらの交通機関を利用するには、事前の準備が重要なのだ。


上り坂の途中にある観音堂の裏手
百済寺を訪れた後、一気に南下し、草津を経由してまずは甲西に到着した。小型のバスに乗り込み岩根に向かう。とても気さくな運転手さんに、バス停から善水寺までの道のりを教えてもらい歩き始めた。最初は民家が立ち並ぶ集落を歩いていくのだが、途中から山道になった。また階段かぁ~、と苦笑いしてしまうが、まあこんなものだろうと思っていたので、一段一段ゆっくり上っていく。人の姿がほとんど見られなかったので、さすがに湖南三山はあまり観光客はいないのかな、と思っていたのだが甘かった。

そろそろ到着する、というときに、目の前に現れたのは大きな駐車場とそこに停まっている多くの乗用車と大型バスだった。お寺の目の前にこんな駐車場があるなんて・・・、と少々がっくりするが、まあそんなものだろう。公共の交通機関を利用する観光客がほとんどいないのであって、ほとんどはマイカーを利用しているようだ。確かにあの時間と本数ではマイカーの方が圧倒的に楽だろう。この階段も上ってくる必要はない訳だし。

受付で拝観料を支払い境内に入る。奥に見える本堂を目にした途端、このお寺は好きだ、と思った。境内の雰囲気がまずいい。そして本堂の佇まいそのものがとてもすてきなのだ。屋根の反り具合もとてもきれいで優雅な感じがする。私が好きな檜皮葺の屋根でもある。



境内には多くの観光客がいたので、人を入れずに撮るのは難しかったが、十分紅葉と本堂のコラボを楽しむことはできる。まずは本堂へ。本堂内も十人以上の観光客がいるものの、それほど混んでいるという感じはない。そして何よりも、そこに安置されている仏像が素晴らしくてびっくりした。本当に滋賀県のお寺には素晴らしい仏像がたくさんあるのだなぁ、とますます感心してしまう。国宝こそないが、重要文化財の四天王や毘沙門天など、大きな仏像が堂々と立っていた。

外に出てもう一度本堂の外観を眺めてみる。真っ赤なもみじとのコントラストもすてきだが、新緑の時もきれいなのだろうな、と思う。4月から特別開帳も行われるようだし、次回来るのは新緑の時期だな、と決めた。特別開帳とはいえ、紅葉の時期ほどは人はいないのでないか、と勝手に期待もしている。美しい檜皮葺の屋根と柔らかい色合いを持つ新緑とのコラボレーションもぜひ見てみたい。

本堂で説明をしてくれた方も、受付の方もとても人当たりの良い方々で、そういう人たちに出会えるのも、そのお寺を気に入る大きなファクターになる。ここ善水寺は、お寺、仏像、職員の方々、そしてお寺全体の雰囲気がとても気に入った。

2014年12月1日月曜日

三井寺と石山寺

う~ん、大きすぎる。それが率直な感想だった。

西明寺と金剛輪寺を訪れた後、一気に南下して三井寺と石山寺に行ってきた。それぞれのHPを事前にチェックはしていたので、大きいお寺さんなんだな、ということはわかっていたつもりだった。

JR膳所から京阪膳所に行き、京阪電鉄でまず三井寺に向かった。三井寺という駅からあるいて15分弱くらいだっただろうか。三井寺の境内の案内図があったのだがよく見もせず受付と書かれているところへ向かってしまったので、あとから実は逆方向に正門があったことに気付く。すでに受付で拝観料を払ってしまっていたので、ほとんどの観光客が進む方向と逆方向に歩くことになってしまった。

境内は広く、観音堂や本堂、毘沙門堂に釈迦堂など多くのお堂が点在し、それぞれの場所でそれぞれのご朱印を頂けたり仏像を拝観することができたりする。もちろんここでも石段を上ることになり、それなりに息が上がって疲れるのだが、それよりも、人の多さと境内の広さにやられてしまった感がある。

私はどうやらこじんまりとしたお寺が好きらしい。西明寺や金剛輪寺はもちろん、室生寺、海住山寺などお気に入りのお寺はどちらかというとこぢんまりしている。本堂や金堂でゆっくり座って静かにしているのが好きなのだが、大きなお寺だとどうしても次から次へ、という感じになってしまい落ち着かない。そんなこともあり、三井寺はなんとなく一周した感じで終わってしまった。

唯一気に入ったのは、「べんべん」という三井寺のゆるきゃらだ。弁慶の引き摺り鐘と亀をモチーフにしたゆるきゃらだそうで、たまたま境内にいたところを見かけて写真を撮った。子どもたちと一緒に写真を撮るのがメインだが、こちらがカメラを向けるとちゃんとポーズを取ってくれるところがかわいい。女の子が一緒に写真を撮ったあと、お母さんに「でもふなっしーの方が・・・」と言いかけて、お母さんに「しっ・・・」と言われていたのがかわいかった。まあ、確かにふなっしーの方がインパクトはあるだろうし人気はあるだろうからね。でも、個人的にはこのべんべんも意外に気に入っている。特技だという法螺貝も吹いてくれた。

三井寺のゆるきゃら べんべん
三井寺の金堂
三井寺の金堂ともみじ
京阪電鉄に乗って石山寺にも行ってきた。こちらも広い境内と石段で、三井寺と同じような感じなのだが、ライトアップがされるということでその時間まで残ることにした。石山寺は紫式部が源氏物語を着想した場所とも言われているようで、紫式部の銅像もある。一応写真は撮ったものの、「ふむ」という感じではある。

石山寺の本堂
紫式部の銅像

ライトアップが始まるまで、いったん外の出なくては行けなかったので、近くの食堂で琵琶湖で採れるシジミの釜めしを頂いた。これは注文を受けてから炊きはじめるようで、20分ほどかかったがとても美味しかった。おこげもできており、私の好みでもある。ゆっくり頂いてライトップまでの時間を待つ。

美味しくいただきました
まだ時間はあったものの、少し外に出てみることにして驚いた。ライトアップの開門前10分以上あるのに、大きな門の前には80mほどの待ち列ができていていた。私も並んで待つ。時間になり、門が開いた瞬間に見えたライトに照らされるもみじの幻想的な風景には思わずため息が漏れた。なかなかの風景である。

多宝塔もライトアップされ、もみじとのコラボレーションも見事だった。三井寺のもみじも素晴らしかったし、石山寺のもみじとライトアップもとてもきれいだったのだが、残念ながらまた来たい、という思いにはならなかった。 こちらの勝手な思いの結果なので、少々申し訳ない気がしないでもないが、こればかりはどうしようもない。来た甲斐はあったと思うが、少々不完全燃焼な気がする。

多宝塔とライトアップ