2014年8月29日金曜日

カンボジアは売り手優先?

毎年行くほど好きなカンボジアだが、意味が分からないことも多数ある。

まず接客について。ホテルや観光客相手の店はずいぶん改善したと思うが、一般の店は基本売り手優先みたいだ。購入したい品物を渡しても、隣の売り子とぺちゃくちゃしゃべりながら、こちらを見向きもしない(^_^;) 支払いをしてお釣りをもらうときも、ポイッと投げてよこされる。もちろん、おしゃべりをしながらだ。日本では考えられん、と思いつつ、ここはカンボジアだから仕方ないな、とあきらめる。

ディスカウントについても不思議なことが。お気に入りのスパでのこと。午後3時までだと30%引きということで午前中に行ったときのこと。ボディ・マッサージとフェイシャルでお願いすると、パックの方が安いですよ、と言われた。でも、パックだと30%引きにはならないんですよね、と聞いてみると、そうですね、でもいつ来ても安いですから、と言う。いやいや、わざわざ午前中に来たのだし、30%引きの方が断然お得なのだ。それを分かっていて言っているのだろうか、と変に勘ぐってしまう。一度、あまり計算もせずにパックにしてしまい、逆に損したこともある。ある意味、自己責任で確認しろ、ということなのかもしれないが。同じようなことは、他のスパでも起こるので、客の得になるように、という感じではないのかもしれない(^_^;)

だからといって、カンボジアが嫌になる、ということはないが、やはり国によってずいぶん違うものだ、と学ぶ機会にはなっている。

カンボジアから帰ってきて約一週間。帰ってくるとまたすぐに行きたくなる。まあ、最近はカンボジアだけでなく、ここではない何処かへ、という思いの方が強い気がして自分のことながら少々心配になる(v_v)

2014年8月25日月曜日

ブライト・ロータス (Bright Lotus Restaurant)

ここの食事は何を注文しても美味しい。宿泊先のホテルと目と鼻の先にあり、とても便利なブライト・ロータス。国立博物館から川に向かって歩いていくと、道の交差点の角にある。

ブライト・ロータスの店先
最初は朝食のバーイ・サイッ・チュルーク(炭火焼豚肉のせご飯)が美味しくて、プノンペンにいる時は毎朝通っている。バーイ・サイッ・チュルークとコンデンスミルク入のカンボジアのホットコーヒーが私の朝食の定番だ。

朝の定番 バーイ・サイッ・チュルークとコーヒー

先日、夕食に寄ってみた。注文したのは、揚げ魚と野菜の炒め物・タマリンドソース付と白いご飯のセット。これがまた美味しい! 揚げた白身魚と人参、ネギの炒め物が、レタス、キュウリ、トマトの上に盛られている。それらを酸味の効いたタマリンドソースに付けながら、白いご飯と一緒に食べる。白身魚の歯ごたえもいいし、なんといっても白いご飯が美味しい。ジャポニカ米ではないが、このロング米も美味しいのだ。そして場所によって味が異なるのもわかってきている。正直あまり美味しくないご飯を出すところもある。でも、このブライト・ロータスのご飯は美味しい。私の好みにマッチするので、ついつい食べすぎてしまう。

お勧めです! 魚と野菜の炒め物・タマリンドソース付

昼食によった時は、豚肉入りのカンボジア板オムレツ、生野菜の盛り合わせ、そして白いご飯というセット。これも美味しい!!! カンボジア版のオムレツは塩味の効いた薄めのオムレツで、白いご飯と一緒に食べるのだが、そこに生野菜も加わった一品だ。野菜はキュウリ、人参、キャベツ、そして茄子である。日本で茄子をそのまま生で食べることはまずないのだが、カンボジアの茄子はアクがないのか生で食べる。塩味の効いたオムレツと野菜とご飯を一緒に口の中にいれて食べる。単純に美味しい。

カンボジア版オムレツと野菜の盛り合わせ
川沿いには観光客向けのレストランがひしめいているけれど、入れ替わりも激しく、行くたびに店が変わっていたりする。そんな中、このブライト・ロータスは私が初めてプノンペンに行った時からずっとある。地元の人たちもよく食べている場所だし、味も値段も良いのだろう。まだカンボジア料理しか食べていないけれど、ハンバーガーやサンドイッチなどもある。まあ、当分はカンボジア料理を責めるとは思うが。

今朝、日本に帰国してしまったが、またプノンペンに行き、国立博物館、プラエ・パカア、そしてこのブライト・ロータスに行くのが今から楽しみだ。次は来年の8月だろうか。

2014年8月24日日曜日

アンコール・トム 西大門(Angkor Thom West Gate)

シェムリアップでの最終日はいつもやることがなくて、いつもNくんにを困らせている。Nくんは、もうかれこれ6年近くもお世話になっているドライバーで、ある意味私のクメール語の先生でもある。英語を少し話すのだが、私がクメール語を勉強しているのを知っているので、基本的にクメール語しか話さない。だからこちらも頑張ってたどたどしいクメール語を使ってコミュニケーションをはかっている。

さて最終日だが、遺跡観光のチケットもすでに期限が切れているので行けない。行けなくもないが、一日観光チケット代金の20ドルは安くない。特に今回は現金に頼らざるを得ない状況なので、あまり無駄遣いもできないのだ。

土産物屋にも寄ったし必要なものは全て揃ってしまった。どうしようかと悩んでいたら、アンコール・トムの西大門に行ったことがあるかと聞かれた。南大門は有名で観光客でごった返し、東側にある勝利の門や死者の門もわりと有名だが、西側の門は聞いたこともなかったし行ったこともなかった。もちろん行ってみることにする。

バンテアイ・トムへ行く道の途中で右折した。赤土の道の向こうに見えてきたのは、南大門と同じ四つの顔を持つ大きな門だった。でも観光客など誰もいない。しんと静まり返っていて、地元の人たちがお堀で釣りをしていた。

西大門の正面

西大門がある意味見向きもされないのは、欄干の部分がすべて崩れ落ちているからだろう。南大門には有名な乳海攪拌の一場面、神々と阿修羅たちの綱引きをモチーフにした大きな欄干があり見応えがある。しかし、ここ西大門は像が一つも残っていない。よく見ると、阿修羅か神々のどちらかと思える胴体の部分が残っていたりするのだが、頭部は一つも残っていない。すべて盗まれたのか壊れたのか定かでないが、ただの瓦礫にしか見えないような状況だった。

神々か阿修羅の胴体部分だろうか

神々の胴体のように見えるが・・・

でも私は気に入ってしまった。この静けさ、遺跡の独り占め、私が好きな遺跡の要素をちゃんと備えている。瓦礫のように見える大きな石も、よく見ると彫刻の跡や、胴体の一部であろう部分が残されている。ここはいつか修復されるのだろうか。頭部が一つもない状況では難しいかもしれない。でもいい感じの遺跡だった。

ポツポツと雨が降り始めた。ここ10日間ほどまったく雨が降っていないそうだ。農家の人たちも困っていると聞く。一昨日も真っ黒な雲とあの嵐の前の風が吹いてきたので、やっと降るかなと思っていたのに結局降らなかった。ところが今、ポツポツ降り始めた。急いで車に戻る。車に乗り込んでほどなく、強く雨が降り始めた。久しぶりの雨だが、思ったよりもあっという間に止んでしまった。これでは農家にとっての恵みの雨とまではいかないだろう。

まだ空港に行くには早すぎたので、空港の滑走路が見える道端で、屋台からさとうきびジュースを買ってしばし休憩。搾りたてのさとうきびジュースは甘くて美味しい。100%天然だから体にも良いはず。ちょっと心配だったので、氷は抜いてもらった。それでもさとうきびそのものを冷やしていたらしく、ひんやりしていて十分に美味しかった。

これでシェムリアップとはしばらくの間、お別れだ。すでに12月のチケットを購入済みなので、さみしい感情はない。Nくんにも、また12月にね、と笑ってバイバイする。一週間もいたはずなのに、あっという間だった。まあ、いつものことではあるが。


さとうきびを搾るお姉さん

プラエ・パカア(PLAE PAKAA) ミュージカル: Mak Therng

プラエ・パカアのミュージカルを見に行ってきた。前日はカンボジアの伝統舞踊でアプサラダンスなど見応えがあって、非常に楽しめた。今回はカンボジア版ミュージカル。

この時期、カンボジアはロー・シーズンのため、このプラエ・パカアは週に2回しか上演していない。予備知識が全くなかったのに、その2回とも見ることができたのはラッキーとしか言いようがない。年末のハイ・シーズンにはもう少し頻繁に上演するのだろうか。

今回の演目は Mak Therng 。日本語でどう発音すれば良いのかわからないので、そのまま英語表記にしておく。「マッタング」のように発音していたような気もするが、主人公の名前である。ストーリーはカンボジア版ロミオとジュリエットといった感じだろうか。歌はもちろんすべてクメール語なのだが、ステージの上部にスクリーンがあり、そこに英語に訳された歌詞が映し出される。クメール語の歌はゆっくりだし、何度か繰り返しながら歌うようなので、英語の歌詞を見ながらもステージ上の演目を十分に楽しめる。

Mak Therng と Pangkiya

Mak Therng と若くて美しい娘 Pangkiya は互いに深く愛し合う夫婦。ところがある日、Pangkiya がその国の王子に見初められてしまい奪われてしまう。周りからは、仕方がない、と言われても正義を求めるMak Therng 。王のところへ伺い正義を求める。王子に脅され、Mak Therng は自分の夫ではないと言ってしまう Pangkiya 。それでも最後には二人が夫婦であることが示される。ところが怒った王子が Mak Therng を殺そうとし、それを止めようとした Pangkiya が刺されて亡くなってしまう。王子もその行為によって王の怒りに触れ、裁きを受けることになる。

周りから諦めるよう言われる Mak Therng

真実のドラムを運ぶ Mak Therng と Pangkiya

true love の話だと聞いていたので、まさか悲劇で終わるとは思わず、不覚にもほろっときてしまった。今までカンボジアの古典芸能というと、アプサラくらいしか見たことがなかったので、このミュージカルは新鮮だったし、ちょっと感動してしまった。カンボジアでもこういう古典芸能を鑑賞することができるようになったのだ。

ミュージカルなので、所々で踊りが盛り込まれるのだが、女の子たちの手つきのしなやかさには驚かされると同時についつい魅入ってしまう。指の反り方が柔らかすぎるのだ。小さい頃からの訓練の賜物なのだろうが、本当に綺麗でついつい手を凝視してしまう。以前は、その反り具合が美しさを決める、という意味がよくわからなかった。よくあれだけ反るなぁ、くらいしか思わなかった。ところが、何度も鑑賞し続けている中で、いろいろな踊り子たちのパフォーマンスを見て、反り具合と美しさが比例するとなんとなく理解できてしまった。今回のプラエ・パカアの女の子たちの柔らかさは素晴らしい! このパフォーマンスを見に、プノンペンに来る価値はあると思う。超個人的な意見だが。

最後にみんなでご挨拶

アプサラのときもそうだったが、最後に寄付金のお願いがあるのもカンボジアらしい。チケット代だけでは難しいのだろうか? 1人15ドルなので、カンボジアとしてはそこそこの値段である。さらに寄付金もお願いする、というのは個人的にはあまり好きではないのだが、カンボジアだから仕方のないことなのかもしれない。

来年も機会があればぜひ見にきたい。


2014年8月22日金曜日

プラエ・パカア(PLAE PAKAA)

アプサラや伝統的なカンボジアの舞踊を見せてくれるのは、ほとんどシェムリアップで、プノンペンでは見たことがなかった。ところが最近、国立博物館の敷地内で曜日の限定はあるものの、カンボジア舞踊が見られるようになったという。

ちょうどプノンペンに移動した日がカンボジア舞踊の公演日で、ギリギリなんとか間に合った。シェムリアップでカンボジア舞踊を見学する時は、必ずと言って良いほどビュッフェやセットメニューが付く。セットメニューならまだしも、ビュッフェともなると踊りが始まっても食べ物を取りに行く人は多いので騒がしく落ち着かない。

ところが、このプラエ・パカアはこじんまりとした舞台ながらも屋外シアターのようになっていて、客は全員舞踊に集中できる。200人ほど入れるのだろうか。国立博物館の後方に舞台が設置されている。今回、客のほとんどは欧米系の人たちばかり。アジア系は私だけだったような気がする。ちなみに個人的にはパカアではなくプカアの方がいいと思っている。花という意味のカンボジア語だ。プラエは実という意味があり、プラエ・プカアで「実りが大きい」という意味があるらしい。

大事なのは内容だが、これは文句なしにお勧めだ。シェムリアップでもよく上演されるフィッシャーマン・ダンスやアプサラ・ダンスの他に、カンボジアの少数民族の伝統的な踊りなども含まれていてとても見応えがある。シェムリアップの上演より洗練されてもいると思う。これを15ドルで鑑賞できるなら、私は満足だ。

アプサラ・ダンス

手のしなやかさと足の形が特徴的

アプサラもダンスも3人と人数は少ないながらも、指の曲がり具合、手つきのしなやかさなど、素人の私が言うのもおこがましいが、上手なのではないだろうか。孔雀をイメージしたのであろう鮮やかな緑の衣装を着た女性たちのダンスも素敵だったし、カルダモン摘みをイメージしたダンスも、途中で踊り子たちが「ベ・クロワイン」(たぶんカンボジア語でカルダモン摘みという意味)とかけ声をかけながら踊る姿も可愛らしくて気に入った。結婚式で行われるというダンスももう一度見て見たいと思う。ダンスの名前を覚えきれなかったのが残念だが、また機会があればぜひ訪れたい。時間は70分弱。

リアムケーの一場面

金曜日の夜にしかカンボジア舞踊は上演されていないのだが、土曜日はカンボジア版ミュージカルも上演されているという。もし時間があったら行ってみようと思う。

最後の挨拶

シェムリアップの街並

シェムリアップは大きく変わってきている。最初にシェムリアップに来たのは確か2000年だったかと思うので、もう14年も経つのだから当たり前なのかもしれないが、やはり変化のスピードには驚かされる。

初めて来たとき、シェムリアップにトゥクトゥクなんてものは存在していなかった。ホテルだってほとんどなく、今では中級以下にランク付けされているタプロム・ホテルが高級ホテルだった。今では様々な土産物が売られているオールド・マーケットだって、ほとんどは地元の人たちのための店だったし、土産物といってもTシャツとクロマーくらいしかなかった。

それがここ10年くらいの間に急激に変化してきている。まず最初にトゥクトゥクが現れた。最初は危険だから利用しないようにとも言われていたのに、今では観光する際の乗り物としての地位を確立している。前はバイタクがいたるところにいたのに、ほとんどがトゥクトゥクに変わってしまい、逆にバイタクを捕まえようとする方が難しくなってしまった。

そして車とバスが一気に増えた。それに伴って渋滞が頻発するようになった。10年くらい前、シェムリアップには信号機は存在しなかったのに、今ではいろいろなところにある。もちろん、日本では考えられないようなすり抜け方をするドライバーもいるが。

昔の方が良かった、と言うのは自分のエゴだということはわかっている。それでも前ののんびりした雰囲気のシェムリアップが好きだった。オールドマーケットから川の向こう岸を見ると、子供達が川に飛び込んで遊んでいたり、川で洗濯する女性たちの姿が見られたりしていた。ところが今ではオシャレな店ができ、新しいホテルができ、なんと最近ではハードロックカフェまでできてしまった。

数年前にはパブストリートができ、ナイトマーケットができ、ヌーンナイトマーケットなるものもでき、夜遅くまで騒がしい街になった。観光客も爆発的に増えた。それに伴って、新しい店もたくさん増えた。今年の変化は、オールドマーケット周辺にジューススタンドやカンボジア版クレープの移動式屋台が一気に増えたことだろうか。便利になったのだろう。次々と新しい店が現れるのもカンボジアらしいのかもしれない。

ジューススタンドのお兄さん

遺跡には観光客が押し寄せ、静かに遺跡の鑑賞をすることは基本的に不可能になった。数年前までは観光客がほとんど来ないような遺跡も、今では多くの人々が訪れる。今では30分ほどで行けるバンテアイ・スレイ。初めて訪れた時は、赤土の道路で頭を何度も車の天井にぶつけそうになりながら、二時間近くかかった。

ベン・メリアもコー・ケーも行くのにずいぶん苦労した。今では半日で十分観光ができる。それはそれで良いのだとは思う。行くのが楽になれば観光客も増えるし、地元の人たちの現金収入も増えるだろう。でも個人的には、苦労して行くことができて良かったと思っている。苦労したからこそ、到着した時の感動は今でも忘れていない。苦労して行った場所だからこそ、ほとんど観光客がおらず、遺跡を独り占めすることもできた。誰にも邪魔されず一人で(もちろんガイドはいたけれど)思う存分満喫することもできた。自分は恵まれていたのだとも思う。

シェムリアップは変わった。これからもっと変わるのだろう。急激な変化だからこその歪も生じている。地下水の問題、ゴミの問題、大気汚染の問題など問題は山積みだ。これらは遺跡にも悪影響を与えるため、実はとても深刻な問題でもある。遺跡があるからこそ観光客が増えているのに、観光客が増えているために遺跡への影響が懸念される。

ときどき、自分はこのシェムリアップの変化にこれからも耐えていけるのだろうか、不安になる時がある。耐える、というより受け止めなくてはいけないのだろうとは思うのだが、のんびりとしていたシェムリアップを知っているだけに、意外とそれが難しい。身勝手な話ではあるのだが・・・。

恐ろしい状態の電信柱

2014年8月21日木曜日

プノム・ボック

アンコール地域には三聖山と呼ばれる3つの山がある。プノム・バケン、プノム・クロム、そしてプノム・ボックだ。

プノム・バケンはアンコール・ワットのすぐ近くで夕日鑑賞でも有名な場所なので、夕方になるとあふれんばかりの人、人、人になってしまう。プノム・クロムはトンレサップ湖近くにあり、それほど有名ではないけれど、夕方には数組の観光客や地元のカンボジア人がピクニック気分で訪れたりする場所だ。割と静かに夕日鑑賞ができるので、個人的には好きな場所でもある。

3つ目のプノム・ボックは三聖山の中でも一番知られていない山だろう。バンテアイ・サムレという遺跡へ行く道をさらに進んでいくと、プノム・ボックへの入り口が左手に見えてくる。前に一度だけ訪れたことがあり、登るのに苦労した覚えがある。ここは三聖山のなかで一番きついかもしれない。何しろこの階段が1580段も続くのだから。

1580段もあるという階段

それでもほとんど観光客はいないし静かに鑑賞できる場所なので、今回は久しぶりにいって見ようと思った。ところがどうも様子がおかしい。車がたくさん停めてあるし、多くのカンボジア人たちが山を登って行く。いつも一緒に行動してくれる友人のカンボジア人Nくんによると、どうやら山頂でミーティングなるものがあるらしい。アプサラ機構の人たちもいるし、3,40人はいるだろうか。

それにしても階段はきつい。最初は緩やかな山道なのだが、途中から階段に変わる。最初に15800段と書いてあり、嘘でしょ!と思ったのだが、100段ほど登ったところには1400と書いてあったので1580段の間違いだとわかる。登っているカンボジア人たちもやはり疲れるらしく、途中で休憩中の彼らと何度かすれ違う。面白いのは、そんなに幅のない階段なのに、そこに座り込んで休んでいることだ。正直邪魔になるのだが、彼らは一向に構わない。まさにカンボジア!

登り切ったところに祠堂が残されている。手前に三つ、後方にも三つの祠堂が並ぶ配置になっているようだ。ずいぶん崩壊が進み、修復の手もまったく入っていない。

手前の祠堂

で、彼らだが、どうやらぼうぼうに生えている草木の伐採をする人たちも加わっているらしく、バッサバッサと切っていた。それはそれでいいのだが、人が祠堂近くのレリーフの写真を撮っていたら、突然上から草木が落ちてきた。危ない!と思って見上げると、祠堂の上に登ったおじさんが、祠堂に生えている草木を伐採しつつそれを下に投げ落としていたのだ。下を見れば私がいるのはわかっているのに、これまた一向にお構いなしである。さすがにちょっとムッときたがこれもカンボジア流。

草木を伐採する人々

ここには壊れてしまってはいるが、大きなリンガが残されている。祠堂から少し奥まった所にある。大きいリンガといえば、コーケーも有名だが、ここのリンガも大きさでは負けていないだろう。割れてしまっているのが残念だが、見る価値はあると思う。

割れてはいるが巨大なリンガ

個人的に気に入ったのは、中央に立っている祠堂の脇に残されたアプサラだ。顔の上部は欠けてしまっているが、口元に優しい微笑みを浮かべている。近くで見るには草を少しかき分ける必要があったが、足元に気をつけながら近づいてみる。顔の上部が欠けている分、勝手に想像できてしまうので、実際のアプサラより美人に考えてしまっているかもしれない。でもそれもありだと思う。もうもとの顔を見ることは永遠にできないのだから。

麗しのアプサラの微笑み

きついのを承知でカンボジアの山(丘?)に登るのは、この光景を見たいから。どこまでも続くカンボジアの大地と頭上に広がる大空。こんな風景を見ると疲れも吹き飛ぶ。プノム・クロムでも同じだが、この広大なる風景を目の当たりにすると、自分の抱えている不安や悩みがちっちゃく見える。また元気をもらえた。


どこまでも続くカンボジアの大地と空

2014年8月19日火曜日

機織り

ここ七年ほど、シェムリアップに行く度に機織りの体験をさせてもらっている。シェムリアップから車で20分ほど郊外にあるクロマー・ユーユーという工房で、日本人のスタッフが1人いて、いつもとても良くしてもらっている。

小さいときから機織りには憧れていたけれど、日本で機織りの体験をしようとしても、数十センチくらいを織らせてもらうのが精一杯で、値段もなかなかである。そんな中、このクロマー・ユーユーではクロマーを一枚織らせてもらえるのだ。たまたま知った場所なのだがとても気に入ってしまい、毎年訪問させてもらっている。

ここでは20人以上の女の子たちが、パッタンパッタンと心地よいリズムと共にクロマーを織り上げていく。多くの女の子たちとはすでに顔見知りで、工房に行くとみんなニコッと笑ってくれるのも嬉しい。

機の準備はまだできないので、私の先生チャンダーにやってもらう。とても手先の器用な女性で、手早く準備をしてくれる。横糸の準備は自分でできるので糸巻きを利用して、三色の糸を巻き上げる。

もちろん、機織りは楽ではない。一日が終われば身体中が痛くなる。足も痛いし、背中も張るし、手も痛い。まだまだ力加減がわからないから力を入れすぎている部分もあると思う。糸が切れて何度も中断してしまうし、ちょっとした失敗もする。

それでも機織りは楽しい。あんなに細い糸(線)が布(面)になるのだ。そこになぜか感動してしまう。織っていく過程で、織りあがった部分を手元の棒に巻きつけて行くので、織っているときはどれほど織れているのかがわからない。織るのを終え、その棒から外し布全体が見えてくる時、こんなに織ったんだ、こんなに大きな布になったんだ、と心からの感動を覚えてしまう。

今日は糸の準備を含めて1メートルを織り上げた。目標は2メートル。順調にいけば明日織り上がるだろう。明日は身体がバキバキの状態になっているだろうけれど、明日の機織りも楽しみだ。



2014年8月18日月曜日

アンコール・ワットとプノム・クロム

アンコール・ワット。

多分、訪れた回数は30回は越えるはず。アンコール・ワットの内側ももちろん興味深いところはたくさんあるし好きには変わりないのだが、一番好きなのは、西塔門の壁づたいに座り、ぼーっとアンコール・ワットを眺めていることだ。

今回は知人がいたので中も見学し、回廊もぐるりとまわったのだが、最後は西塔門でしばしアンコール・ワットを眺めながらの休憩をとった。中央塔の上から見るアンコール・ワットの景色も好きだけれど、人数制限が取られるようになってから、何となく落ち着かないし、自由に動き回ることも基本的にはダメになってしまい、何とも居心地が悪い。この西塔門からの眺めは写真にもあるように、真っ青な空をバックにしたアンコール・ワットをいくらでも眺めていられるのだ。こんな最高な場所はない

プノム・クロムに出発する時間になるまで、ずっとアンコール・ワットを眺めていた。なんて贅沢な時間。

プノム・クロムの夕日は個人的にとても気に入っている。もともとプノム・バケンでの夕日鑑賞が観光の定番だったのだが、やはりここも人数制限の関係で見ることが難しい場所になってしまったし、とにかく観光客の人数が半端なく多い。そしてなによりうるさい。

そんな時、見に行ったのがプノム・クロムだった。トンレサップ湖のすぐ近くにあるのだが、あまり観光客は来ない。トンレサップ湖や周りの田んぼの水面に輝く夕日をただただ静かに眺めていることができる。

今回はカンボジア人のグループが何組か来ていて、さすがに静かとは言い難かったが、それでも十分満喫できた。地平線(水平線)には雲があったので、地平線に落ちて行く太陽は見られなかったが、それでも十分に綺麗な夕日だった。


2014年8月17日日曜日

バンテアイ・トム

カンボジアのシェムリアップにはかれこれ10年以上通っていて、規模の大きい遺跡は制覇したと思っていた。

でもやっぱり甘かった(≧∇≦)b

カンボジア人の先生に案内してもらったバンテアイ・トム。アンコールワットから空港に向かう道の途中で右折し北上する。アンコール・トムを過ぎたあたりで車を停め、車からおりてあぜ道を歩くこと20分。ラテライトの塀が目に飛び込んできた。

想像していた以上に大きい。アンコールワットからこんなに近いのに、いまだに人知れず残っている大きな遺跡があるとは。先生も道が不確かで、近くの村人に案内してもらったのだが、近道だからと農道から外れて田んぼの中もざくざく歩く。田んぼといっても日本とは異なり全く水がない。水がないどころか土が乾いて硬くなっている状況である。これで稲はちゃんと育つのだろうかと心配しつつ、なるべく稲を踏まないように歩く。村人のおじさんはずんずん歩いて行くのだが、こちらは足元を見ていないと稲を踏んでしまいそうなので、どうしてもペースが遅くなる。そんな私たちを途中振り返って確認しながら、おじさんはバンテアイ・トムまで案内してくれた。

バンテアイ・トムの崩れ方はベンメリアに似ているかもしれない。ジャヤヴァルマン七世が建てたらしいのだが、ジャヤヴァルマン七世が建てた他の寺院より、使われている砂岩のサイズが大きい。塀の中に三つの塔が横並びに配置された作りで、配置はロリュオスのプレア・コーにも似ている。

                                               バンテアイ・トムの東参道

                                                   バンテアイ・トムの塔

レリーフもずいぶん残ってはいたが、やはり盗掘のあともずいぶんあった。ジャヤヴァルマン七世が仏教に帰依していたことは有名だし、その後のジャヤヴァルマン八世がヒンドゥー教だったため、寺院に施された多くの仏像のレリーフが削り取られたという話も有名だ。ところが、ここには真新しい傷跡がいくつも残る。古いものは長い年月の中で周りの砂岩と色が同じになっているが、新しいところは変に明るい灰色をしている。アプサラの顔、破風の仏像などが削り取られていて痛々しい。

アンコールワットに近いとはいえ、観光客が頻繁に訪れる場所ではないし、もちろんガイドブックにも載っていない。悲しいけれど、人の目が行き届かないところでは、未だに盗掘が行われているのだ。

周りにあるレンガでできた回廊は綺麗に保存されていた。中を覗くと、隙間からこぼれる太陽の木漏れ日がとても綺麗だ。蛇の抜け殻がたくさんあったり、実際に蛇がいたり、赤ありに噛まれたりもしたが、久しぶりに人のいない遺跡を独り占めさせてもらった。




大失態

昨日、プノンペンからシェムリアップに移動した。朝からタクシーに料金をぼられそうになってちょっと嫌なスタートだったのは確か…。

メーターには、33000リエル、ドルにして8ドルちょっとだったので10ドル紙幣を渡すと、ノーノー15ドル、と言う。そしてそう言った途端、メーターを0に戻したのだ。ふざけんなと思いつつ、33000リエルなんだから8ドルでしょ!と言うと、空港の駐車料金が1ドルだから、と言う。だったら9ドルちょっとだし、多く見積もっても10ドルでしょ!と言い返すと、オー、OKと言って10ドル紙幣を受け取った。まったく・・・。

で、大失態である。シェムリアップで夜、知人と市場や人で賑わうパブストリートと呼ばれるところを歩いていた時に、財布をすられてしまったのだ。確かに油断していた。行き慣れた場所だからという甘さもあった。気付いた時には財布が見当たらなかったのだ。この状況で見つかる訳もないし、警察に行っても無駄なのはわかっていた。不幸中の幸いは大金を持っていなかったこと、パスポートも携帯していなかったことくらいだろうか。

急いでホテルに戻り、財布の中に入っていたクレジットカード2枚の会社に連絡をとってストップをかけてもらった。カードの再発行やら、登録しているすべての変更手続きが待っているが、それは仕方が無い。現金はたぶん60〜70ドルほど。高い授業料を払ったと思うしかない。suicaも取られたが、これはカンボジアでは使いようもないので、日本に帰ってからの再発行手続きをする予定。手数料はかかってしまうけれど、チャージされている金額と定期の分が戻るのなら十分。

きついのは、今後カードで支払おうと思っていた買い物だ。今後の旅行で必要な最低限の現金は確保しているので、旅行そのものには影響ないが、プラスαの楽しみを少々削らざるを得ない。まあ、70ドルで済んだのだから文句は言えまい。

やはり慣れというものは危険なんだなあ、と改めて自分を戒めた。財布がないのは不便なので、今日どこかの店で安い財布でも探そう。

まだ旅は続くのだから、気持ちを切り替えて楽しもうとは思う。やれやれ。


こんな綺麗なアンコールワットを見たのに・・・


久しぶりにプノンバケンに登ったのに・・・


すごい人の数だね、なんて笑っていたのに・・・

2014年8月15日金曜日

スポンサーチャイルド

スポンサーになってもう10年近くになるのだろうか。今回は二年振りということで、彼らの成長が楽しみだった。

ワールドビジョンのオフィスに到着すると、見知った顔が出迎えてくれた。スポンサーチャイルドのヴァニーとクムリー。そしてその家族たちだ。驚いたのはヴァニーの背の高さ。前回までは私より背が低かったのに、今回は私よりはるかに背が高い。あっという間に大きなお兄さんになってしまった。お父さんにそっくりだ。

クムリーも大きくなった。残念だったのは、クムリーのお母さんが田植えの仕事が忙しくて来られなかったこと。どうやって来たのかと思ったら、お父さんと来たという。確かに見覚えのないお父さんにらしき年齢の男性と、クムリーより少し年上の女の子が一緒にいる。でも、クムリーのお父さんは彼女が生まれたと同時に失踪しているはず。ずっとお母さんと二人で暮らしてきたはずなのだ。聞き辛い内容だし私の拙い理解力の上でだけれど、どうやら再婚したようだ。年上の女の子は新しいお父さんの娘らしい。複雑・・・。

ヴァニーは長男で、下に弟が一人と妹が二人いる。今回は一番下のもうすぐ三歳になるという妹が一緒にきていた。前回は赤ちゃんだったのに、こちらもびっくりだ。

彼らはもちろんクメール語しか話せない。彼らとコミュニケーションを取りたくて、クメール語の勉強をしているのに、相変わらず聞き取れない。私の拙いクメール語はそれなりに理解してくれているようなのだけれど、私が彼らのクメール語を聞き取れない。地域に寄って発音が違う、田舎の発音は聞き取りにくい、とは言うけれど、やはり悔しい。「チュラウン」が「チュルーン」になるだけで???なのだから大変だ。それでもみんな気にせずどんどん話してくれるので助かる。

昼食をみんなで食べに行った。カンボジアンスタイルの屋外レストランだ。みんなで車座になり、お皿にご飯を盛り、それぞれのおかずを取りながら一緒に食べる。今回のメニューは、鶏肉の酸っぱいスープ、野菜炒め、焼き魚、そして青いパパイヤの漬物だ。みんな美味しい。美味しいからついつい食べ過ぎてしまう。で、お腹をこわす、というのがいつものパターン。

あっという間に時間は過ぎ、そろそろサヨナラの時間になってしまった。来年も来るの?と聞かれ、可能であればもちろん来ます、と答える。また大きくなっているんだろうな。ヴァニーは今、学校に通っていないようだけれど、これもまた聞きづらくて理由を聞けなかった。クムリーの好きな教科はクメール語。好きなお肉は鶏肉。そんな質問しかできなかったけれど、前に比べて恥ずかしがらずに答えてくれるようになった。

また来年も会えるのを待ち望みつつ、彼らとさよならをした。


右側がクムリー

左側がヴァニー

本日の昼食  9人で16ドルでした

スポンサーシップ

ワールドビジョンを通してサポートしている子供たちに会いに行ってきた。今年でもう何年になるのだろう。昨年はいろいろあって会えなかったので、今年は二年振りだ。

まずは、ワールドビジョンが取り組んでいるプロジェクトの見学。最初に訪れたのは子供たちの衛生面のサポートをしている場所だ。

井戸の周りではちょうど水浴びの真っ最中で、年配の女の子達が小さい子達の頭を洗ってあげていた。でもみんな洋服は着たまま。もちろん首回りなど濡れてしまうのだけれど、すぐに乾くからだろうか。まったく気にしていない。


別の場所では、爪切りが行われている。子供たちが次から次へと手を差し出して爪を切ってもらっている。爪切りというのも各家庭にはないのだろう。週に一回ほどのペースで水浴びや爪切り、そして、栄養価の高い物を食べに来るのだそうだ。

一段落すると、子供達は大きなブルーシートの上に並んで座り始めた。何をするのかと見ていると、担当の女性が来て、みんなで歌を歌ったり、代表者に前に来てもらって歌ってもらったりしていた。

四、五才から小学校低学年の可愛い子供達が一生懸命に歌っている姿は、なんとも微笑ましい。ABCの歌、カンボジア語の子音の歌、日本の九九のような歌、それから流行りの歌を歌った子もいた。みんな一生懸命で本当に可愛い。歌い終わるとみんなで拍手をするのだけれど、もちろん私もたくさん拍手をする。




時々、聞いている方も落ち着きがなくなるけれど、そこはちゃんと年上のお兄さんや見ている大人達がたしなめていた。

可愛い姿を見せてもらった。

いよいよカンボジア

昨日、プノンペンに到着。

現地時刻の20時にやっとホテルへチェックイン。日本時間の22時なので、さすがに疲れた。バンコクからプノンペンの飛行機で、ずっとKポップが流れていて、さらには日本語バージョンのKポップまで流れていたのには苦笑してしまう。

今朝は早速外にでて、カンボジア定番の朝食、バーイ・サイッ・チュルークを食べる。こんなに美味しいのに、ホテルの味気ない朝食食べるなんて考えられない! バーイ・サイッ・チュルークとホットコーヒーで2.5ドル。ホテルの朝食は無料だけれど、お金を出してでもこちらの方がいい。

朝の散歩ついでに川沿いにも行ってみる。基本的には何も変わらない。エアロもどきもやっているし、散歩しているおじちゃん、おばちゃん。まだまだ寝ているトゥクトゥクのドライバーたち。まだ朝早いからか、声かけはほとんどないので楽だ。

今日はこれから、ワールドビジョンを通じてサポートしている子供たちに会いに行く。二年ぶりなので、成長した姿に会うのが楽しみだ。

カンボジアの朝食の定番  バーイ・サイッ・チュルーク


プノンペンの朝  川沿いを歩く


朝日が眩しい

2014年8月12日火曜日

悩む・・・

うちに来て欲しい、というありがたいお誘いを頂いた。でも、すぐにハイわかりました、と言うわけにもいかない。今の職場も自分にとって大事な場所だから。

なぜ自分がそこまで認められるのかがわからない。実は別の所からも声をかけて頂いている。なぜ? 自分が優秀な人材だと思ったことはない。悪いとも思わないがごく普通としか思えない。それなのに二カ所からお誘いを頂いてしまっている。

声をかけてもらったところは悪くない。きっとまたやりがいのある場所になるとも思う。
でも、今の場所にはたくさんの仲間がいる。職場だけでなく、職場を通してつながっている大事な仲間もいる。だから離れたくない。職場自体にはもちろん不満もあるけれど、それはきっとどこへ行っても変わらないだろう。ベストにはならないから、ベターかどうかなのだろう。

悩む。相談するにも、親しい人は今の職場とつながりの深い人たちばかりだから、さすがに相談しにくい。

どうしたらいいんだろう。期限は今年の12月。誰に相談すればいい? どうやって決断すればいい? 

まったくしがらみのない人に相談したらベストの答えをくれるんだろうか。でも、最終的に決断するのは自分。責任をとるのももちろん自分。

今の仲間から離れてやっていく自信はあるのか? 一歩を踏み出す勇気はあるのか? それは本当に勇気なのか? 逃げではないのか? オファーを貰ってから、ずっと自問自答している。正直辛い・・・。

2014年8月5日火曜日

僧侶と巡るロータスロード (8) 番外編

バスに乗り、一路奈良国立博物館へ向かう。9月15日まで、京都の醍醐寺展をやっているのだ。正直、見に行く時間はないかな、と思っていたけれど、急遽このロータスロードに参加することにしたので、そうだ行ける!と急いで前売り券を買ってしまった。

朝は青空が広がっていたのに、低気圧が近づいているという天気予報の通り、途中から黒い雲が広がってきていた。ツアー中は雨は降らずにすんだのだけれど、バスに乗っているときにパラパラと雨が降り始めた。国立博物館近くのバス停に到着したときはずいぶん強くなり、博物館に入ってからは土砂降りになった。とはいえ、傘は持っていたし、夕立のようですぐに止んでしまったけれど。

醍醐寺展の目玉は普段なかなか行くことのない上醍醐に安置されている明王五体が降臨すること。他にも様々な特別展示があるとのことで、やはり人は多い。

醍醐寺展のHPより
最近、仏像に興味を持ち始めたとは言え、曼荼羅図や絵画、書物にはまだ触手が動かない。仏像以外の展示はさらりと流してしまった(^_^;)

まず気になったのは、二体の如意輪観音だ。片方は少しふくよかな顔をして、金箔のあとがずいぶん残っているもので、もう一体はすっきりとした顔立ちの黒色の観音像だ。個人的には後者の方が好きなのだけれど、ショップでは前者の写真しか置いておらず、再度見に行ってしまったほど。

明王五体はさすがに見応えはあった。ちょうど午後3時から法要が始まるとのことで、参加してみることにする。

3時に年配の僧侶が一人、中堅と見られる僧侶が二人、まだ入門したばかりという感じの僧侶が10人ほど入ってきて、用意された椅子に座る。そしてお経が始まった。

最前列に並んでしまったので動こうにもまったく動けず、40分近くのお経を最初から最後までしっかり聞いてしまった。何を言っているのかさっぱりわからないのだけれど、最後に唱えていた言葉には聞き覚えがあった。ロータスロードのツアーで教えてくれた薬師如来の真言だ。

今回初めて知ったのだけれど、真言というのはサンスクリット語なのだそうだ。仏様はもともとインドの人だから日本語は理解しない。だから、真言を唱えることで、こちらの呼びかけに答えてもらえるようにするのだという。今までも真言が書かれているものを何度も見ていたけれど、何なのかはまったく知らなかった。

その真言をお経の中から聞き取ることができるとは。一人で勝手に感動していた。似たような言葉を前後にも言っていたので、薬師如来以外の真言も唱えていたのだろう。不思議な感覚だった。


2014年8月3日日曜日

僧侶と巡るロータスロード (7) 法話(小林僧侶)編

最後の担当は小林僧侶。喜光寺の館長かと思っていたのだけれど、正しくは薬師寺の執事だそうで、毎朝薬師寺から通っているのだという。喜光寺は薬師寺と同じ法相宗ということで、薬師寺が法相宗の大本山なのに対し、喜光寺は別格本山というのだそうだ。よく違いがわからないけれど、とにかく関係は深いらしい。

小林僧侶は「さわやかに 生きる」と題しての話をしてくれた。切磋琢磨の意味すること。仏教の意味するところ。そして、僧侶としての使命について。


興味深かったのは、切磋琢磨の漢字はすべて磨くという意味があるということ。「切」は骨を磨く、「磋」は象牙を磨く、「琢」は玉を磨く、「磨」は石を磨くという意味を持つのだという。だから、切磋琢磨というのは、極める道、すなわち立場・職業・目的などが違っていても、各々の道において志をもち、修養に励み、品性や力量、技や心、徳を磨くことなのだと。なるほどねぇ、ととても納得してしまう。特に今のような世のだからこそ感じてしまう部分もあるような気もするが。

また、仏教とはあってもなくてもいいけれど、やはりあった方がいいものだ、ということを、一休禅師が次のように言ったとか。「佛法は、障子の引き手、峰の松、火打ち袋に、鶯の声」 さすがは一休さんである。


小林僧侶は石田僧侶と同い年らしいのだが、小林僧侶の方が年上に見える。石田僧侶は物静かで物腰も柔らかそうなのだが、小林僧侶は強そうというかパワフルというか。また石田僧侶とは異なる笑いのネタが随所に散りばめられていて、ここでもさすがだな、とまた感心してしまった。
最後は三人からの質問を経て終了。

そしてなんとアイスクリームまで振る舞われた。が、一時間に一本しかないバスの時間まで五分ほどしかなく、残念だったけれどアイスクリームは辞退させていただいた。特に話をさせていただいた石田僧侶にお礼を言って、喜光寺を後にした。もう少し話ができればよかったけれど残念。

この後は、奈良の国立博物館で行われている特別展、京都の醍醐寺展を見に行く。

 

2014年8月1日金曜日

僧侶と巡るロータスロード (6) 法話(石田僧侶)編

二人目は唐招提寺の石田僧侶。石田僧侶は蓮の花についての話をしてくれた。

鑑真和上が渡来したときに持ち込んだ品々の一覧が残っているそうで、その中に三種類の蓮についての記述があるのだという。蓮は種から育てるのはとても難しいらしく、たぶん蓮根で持ってきたのだろうとのことだった。あの立派な蓮が千年以上も前から咲き続けているとは。その間、いろいろな人々に鑑賞され、そして蓮自身も時の流れの中で様々なことを見てきたのだろう。

蓮と仏教とのつながりについても紹介してくれた。蓮の花はあんなに美しいのに泥の中から生えている。泥というのはこの世のこと。いつの世も戦争がなあり紛争があり諍いがある。そんなどろどろした世の中だけれど、人には皆あの美しい蓮の花を咲かせる種を持っている。そう仏教は教えているのだという。

似たような話は前にも聞いたことはあったけれど、蓮の花をみんなが持っているのだ、という話を聞いたのは初めてだ。自分はその花を咲かせているのだろうか。ふと考えさせられる。

大賀蓮と中国の古代蓮の掛け合わせで生まれた日中友誼蓮の話を聞いたのも、この法話の中でのことだ。蓮でつながる日中の関係。早く良くなってほしいものだとつくづく思う。

石田僧侶はとても物静かな感じの方で、柔らかい話し方をされるのだけれど、やはり話の中に笑を交えて飽きさせない。私は高次くんほど若くはないのでマイクを使いますね、と言っていたけれど、40台なのだからまだまだ若い方なのではないだろうか。

まだまだ蓮についての話はあったようだけれど、あっという間に時間がきてしまった。また機会があったらもっとゆっくり話を聞いてみたい。

最後は喜光寺の小林僧侶だ。