2014年8月22日金曜日

シェムリアップの街並

シェムリアップは大きく変わってきている。最初にシェムリアップに来たのは確か2000年だったかと思うので、もう14年も経つのだから当たり前なのかもしれないが、やはり変化のスピードには驚かされる。

初めて来たとき、シェムリアップにトゥクトゥクなんてものは存在していなかった。ホテルだってほとんどなく、今では中級以下にランク付けされているタプロム・ホテルが高級ホテルだった。今では様々な土産物が売られているオールド・マーケットだって、ほとんどは地元の人たちのための店だったし、土産物といってもTシャツとクロマーくらいしかなかった。

それがここ10年くらいの間に急激に変化してきている。まず最初にトゥクトゥクが現れた。最初は危険だから利用しないようにとも言われていたのに、今では観光する際の乗り物としての地位を確立している。前はバイタクがいたるところにいたのに、ほとんどがトゥクトゥクに変わってしまい、逆にバイタクを捕まえようとする方が難しくなってしまった。

そして車とバスが一気に増えた。それに伴って渋滞が頻発するようになった。10年くらい前、シェムリアップには信号機は存在しなかったのに、今ではいろいろなところにある。もちろん、日本では考えられないようなすり抜け方をするドライバーもいるが。

昔の方が良かった、と言うのは自分のエゴだということはわかっている。それでも前ののんびりした雰囲気のシェムリアップが好きだった。オールドマーケットから川の向こう岸を見ると、子供達が川に飛び込んで遊んでいたり、川で洗濯する女性たちの姿が見られたりしていた。ところが今ではオシャレな店ができ、新しいホテルができ、なんと最近ではハードロックカフェまでできてしまった。

数年前にはパブストリートができ、ナイトマーケットができ、ヌーンナイトマーケットなるものもでき、夜遅くまで騒がしい街になった。観光客も爆発的に増えた。それに伴って、新しい店もたくさん増えた。今年の変化は、オールドマーケット周辺にジューススタンドやカンボジア版クレープの移動式屋台が一気に増えたことだろうか。便利になったのだろう。次々と新しい店が現れるのもカンボジアらしいのかもしれない。

ジューススタンドのお兄さん

遺跡には観光客が押し寄せ、静かに遺跡の鑑賞をすることは基本的に不可能になった。数年前までは観光客がほとんど来ないような遺跡も、今では多くの人々が訪れる。今では30分ほどで行けるバンテアイ・スレイ。初めて訪れた時は、赤土の道路で頭を何度も車の天井にぶつけそうになりながら、二時間近くかかった。

ベン・メリアもコー・ケーも行くのにずいぶん苦労した。今では半日で十分観光ができる。それはそれで良いのだとは思う。行くのが楽になれば観光客も増えるし、地元の人たちの現金収入も増えるだろう。でも個人的には、苦労して行くことができて良かったと思っている。苦労したからこそ、到着した時の感動は今でも忘れていない。苦労して行った場所だからこそ、ほとんど観光客がおらず、遺跡を独り占めすることもできた。誰にも邪魔されず一人で(もちろんガイドはいたけれど)思う存分満喫することもできた。自分は恵まれていたのだとも思う。

シェムリアップは変わった。これからもっと変わるのだろう。急激な変化だからこその歪も生じている。地下水の問題、ゴミの問題、大気汚染の問題など問題は山積みだ。これらは遺跡にも悪影響を与えるため、実はとても深刻な問題でもある。遺跡があるからこそ観光客が増えているのに、観光客が増えているために遺跡への影響が懸念される。

ときどき、自分はこのシェムリアップの変化にこれからも耐えていけるのだろうか、不安になる時がある。耐える、というより受け止めなくてはいけないのだろうとは思うのだが、のんびりとしていたシェムリアップを知っているだけに、意外とそれが難しい。身勝手な話ではあるのだが・・・。

恐ろしい状態の電信柱

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