2015年4月13日月曜日

日本の色彩 ~デジタル写真の色合い~

今回京都や室生寺に足を運んで桜を観賞してきたのですが、桜を見ながら思うことがあります。

桜の季節が近づいてくると、家に送られてきたり駅の構内に置かれている旅行のパンフレットには、多くの桜を見に行こう、というツアーが載るようになります。気になったのはそこにある桜の写真。とにかく色鮮やかな写真がたくさんあって、ソメイヨシノってこんなに色が鮮やかだったっけ?と思ってしまったほどです。

同じことは紅葉の時期にもありました。とにかく色鮮やかで濃い色のもみじやカエデが一面に彩られているのです。

でもふと思うのです。これって本当の色なんだろうか、と。今回も又兵衛桜や室生寺の桜を見に行ったとき、ずいぶん色が薄いな、と思ってしまった自分がいて、この感覚っておかしい、とはたと気付いたのです。目の前にある桜の木が本物なのに、写真の色を基準にしてしまっている自分に唖然としました。

パンフレットは広告ですから、人々の目に印象強く残らなくてはなりません。今やすべてがデジタル処理でできるわけで、色合いもコントラストを強くしようと思えばいくらでもできます。ほんのり色付くソメイヨシノも、色鮮やかの紅葉も、ビビッドな色にしようと思えばできてしまいます。別にその手法が悪いと言っているわけではなくて、自分がその色を基準としてしまっていた事実にがっかりしてしまったのです。フィルムにこだわる自分が、デジタル処理をした写真と本物を見比べたとき、本物の色を「物足りない」と思ってしまったことが、正直ショックでした。

これではいけない、と思いつつもう一度風景を見直したとき、ビビッドではない色に改めて感動している自分がいました。最初にそう思ったのは昨年の紅葉の時期です。真っ赤なもみじを見て感動した後、電車に揺られているときに車窓から見えた小高い山々の淡い色の紅葉模様を目にしたときです。パンフレットで見るような鮮やかで華やかさは全くないのですが、いろいろな色に彩られている山々は本当にきれいでした。これがいいなぁ、と1人見とれていました。でも、写真ではうまく捕らえられないなぁ、とも同時に思いました。色が優しすぎるのです。腕のいいカメラマンやプロの方ならそれでもいい写真が撮れるのかもしれませんが、今の私の腕では無理です。ということで、一生懸命、脳にインプットしてきました。

桜といい山々にみる淡い紅葉といい、日本には素敵な色彩がたくさんあるんだぁ、と改めて思いました。色の名前も本当はたくさんあるのに、なかなかその違いを実感する経験がありません。万葉集などにみる、日本人の自然に対する細やかな視点や眼差しに最近勝手に感動しています。このような細やかな眼差しは心に余裕がないとなかなか難しいとも思う今日この頃です。


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