2015年1月2日金曜日

シェムリアップの年末年始

ここ数年、年末年始をカンボジアで過ごしているが、日本の正月とはまったく異なるので、日本の正月気分がどんな感じだったのか忘れてしまいそうになる。というより、年が明けた、という感覚を味わえないまま新年を迎えているような気もする。

それにしてもシェムリアップの変わりようには言葉を失う。まずクリスマスイルミネーションの内容が格段にグレードアップした。道路には電飾が輝き、ホテル前のスペースにはクリスマスツリーから雪だるままで様々な飾り付けがしてあり、ここは一体どこ?と思ってしまうほどだ。カンボジアで雪だるまというのも変な感じがしないでもないが、オーストラリアでは真夏にクリスマスを祝うわけで、場所が変われば雰囲気も変わるのは当たり前なのだろう。イルミネーションの質が上がったということは、経済的にもある程度豊かになったということなのだろうから悪いわけではないのだが、個人的にはため息しか出てこない。仕方のないことだとわかっているが、なんとなくハリボテのように見えてしまって素直に喜べないのだ。

大晦日も予想通りといえば予想通り。カンボジアはもともと大音量が好きである。結婚式や葬式では爆音とも思える大音量が屋外に流れ、嫌でもそこで何かイベントが行われていることがわかってしまう。そこまでの大音量を流す意味があるのかと不思議に思うのだが、聞くところによると、村の人々に結婚式(葬式)が行われていることを知らせるためなのだそうだ。昔は通信が発達していなかったからわからないでもないが、このご時世に必要なのかは疑問に思うのだがどうなのだろう。

で、シェムリアップの大晦日である。夕食を探しにオールドマーケット周辺に行ったのだが、すでに大音量が響き渡り、ズンズンと低音が響いてくる。何せ店の前に大きなスピーカーを10台近くも積み上げて音楽を鳴らすのだからうるさいに決まっている。警官も繰り出しオールドマーケット周辺をすべて歩行者天国にしてしまった。バイクが入ろうとしようものなら、笛を吹き鳴らして威嚇する。カンボジアの警官は超上から目線で人々に当たるので、良い感じがしない。パブストリートと呼ばれる道周辺は落ち着かない様子のカンボジア人や観光客が少しずつ集まり始めていた。ということで、私は逆にさっさと帰ることにする。

こんな時は、車やバイクもいつも以上に怖い。絶対に飲酒運転が増えるからだ。警官は権力は振りかざすけれど、飲酒運転を取り締まることはしない。こちらが気をつけていても向こうからぶつかってくることもあり得るわけで、とにかく出歩かない方が安全。パーティーとか騒ぐのが好きな人は、こんなシェムリアップも楽しいのかもしれないが、静かな場所の方が好きな私には早く離れたい場所になってしまう。

ということで、大晦日だというのにいつもと同じ時間に寝る。しかし!!! 真夜中にドーン・ドーン・ドーンという音で目が覚めてしまった。打ち上げ花火の音だ。あ〜新年が明けたのね、とおぼろげながら思うものの、こちらは安眠を妨げられた形だ。一体何発の花火が上がったのだろう。歓声も聞こえてきたので、ホテル近くから見えたのかもしれない。しかし、起き上がる気力も興味もなく、ただただ早く静かになってくれと願うばかり。まあ、二年ほど前にシアヌークビルの島に渡って新年を迎えた時は、明け方近くまで低音の響く爆音が聞こえていて最悪だったのだが、それに比べればマシだっただろう。そのうち静かになり、また眠りに落ちることができたのだから。

ただし、次の日の朝はやはりカンボジアだなあと苦笑する羽目になる。まさかね、とは思っていたしのまさかだった。朝食の準備が時間になっても終わっていなかったのだ。6時半からだというのに、6時半の時点ではほとんど食べ物が用意されていない状態である。遅くまで騒いでいたからね、なんて日本では到底通用しないけれど、カンボジアではそうなってしまう。結局、すべてが用意できたのは7時。カンボジアだからね。仕方がないんだよね、思うものの、釈然としない。まあ、日本人の感覚ではあり得ないだろう。いい経験だとは思うが。

そんな年越しである。カンボジアは嫌いではないけれど、暮らす場所ではないなあ、と思ってしまう。大事な友達もいるし、遺跡は素晴らしいし、これからも何度も足を運ぶとは思うが、暮らしてみたいとはどうしても思えない。

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