2015年1月20日火曜日

西岡常一棟梁 墓参り

西岡常一棟梁といえば、法隆寺最後の宮大工と言われる方。法隆寺が私の寺巡り・仏像巡りの原点だけあって、法隆寺の宮大工だった西岡常一氏の本を読んだり、DVDを見たりしていた。特に西岡氏の書いた本からはいろいろと考えさせられること、思わされることが多くあり、自分に影響を与えた本の一つに挙げてもいいと思っている。

そんな西岡氏は残念ながらすでに他界されている。敢えて言わせてもらえれば、直に話を聞いてみたかった。講演会などはされていたのだろうか。

その西岡氏の墓参りをしてきた。もちろん、勝手に、である。知りもしない方の墓参りを勝手にすることはもしかしたら迷惑になるのかもしれないが、どうしても墓前に手を合わせたくて勝手にいろいろと調べてしまった。ネット社会の情報量はやはりすごいもので、西岡常一氏のお墓がどこにあるのかの検討がついた。行ってみて見つからなくても仕方がないと思っていたので、まずはとにかくその場所に行ってみようと思っていた。

この日は朝から青空が広がり、ピンと引き締まる寒さだった。雲は多いものの、風もなく穏やかな日だった。寒いのはあまり得意ではないのだが、風がなく気温が低い晴れた日は嫌いではない。いや、逆に好きかもしれない。ピンと張りつめた冷たい空気の中を、白い息を吐きながら歩く。身も心も引き締められるような感じになり、寒いながらも好きな気候の一つである。

JR法隆寺駅から車通りの激しい道を渡り、のどかな畑の中の道を歩くこと30分弱。西岡氏のお墓がある場所に着いた。斑鳩神社の裏手にある墓地だ。大体どの辺りにあるかはネット上の情報で得ていたものの、やはり実際に行ってみるとなかなか見つからない。西岡家の墓、と書かれた墓石がいくつかあり、西岡常一氏のお墓がなかなか見つからなかった。あまり墓地をうろうろしているのも気が引けるし、変に思われてしまうかもしれない、という不安もあり、一度はあきらめようかとも思った。それでもあと一回探してみよう、と見て回ったときにやっと見つけたのだ。

西岡常一氏の墓石の前で手を合わせた。赤の他人でもあるし、お会いしたこともない私である。それでもまずは「ありがとうございます」と伝えた。不揃いだからこその良さ、癖を生かす、100年・1000年先を見る。西岡氏が残した文章の中には、自分にとってとても大事な言葉がいくつも書かれている。これからもその言葉を大事にしていきます、とも伝えた。

来てよかった。お墓には綺麗な花が添えられていたので、最近親族の方が墓参りに来られたのだろうか。勝手な思いでここまで来たけれど、やはり手を合わすことができて良かった。墓前で手を合わせて語りかけるということは今までしたことなどほとんどないのだが、今回は特別だと勝手に考えた。たまには来させてもらってもいいだろうか。こちらの勝手な思いの行動なので、礼儀的にどうなのか不安な点がないでもないが、心から尊敬の意を込めて手を合わせているということで、ご容赦いただければと思っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿