2015年1月4日日曜日

ベン・メリア カンボジア

シェムリアップから1時間と少しで行けるようになったベン・メリア。観光客もずいぶん訪れるようになったので、それは覚悟の上での再訪だ。それでも、一般的な入口の東側ではなくて南側から入ることになったお陰で、まずは意外と静かに見始めることができた。

祠堂の多くが崩れており、巨石が至る所に山積みになっている。回廊の外側を歩きながらそんな崩れ落ちた巨石の山を見ているとき、ふと平家物語の序文が思い出された。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。 

一時はインドシナ半島の大部分を手中に収め、栄華を誇ったアンコール王朝。当時のベン・メリアも相当な威厳のある建造物だったのだろう。それが今では中央塔は見事に跡形もなく崩れ落ち、他の祠堂も多くが瓦礫と化し、観光客がいなければただの廃墟である。悲しいとか寂しいというような感情ではなく、ただただ儚いものだと呟きがこぼれる。多くの巨石の中には彫刻が施されているものもある。足だけが残されているもの、胴の部分だけがチラリと見えるもの、片側が割れてしまったナーガなど、無言のメッセージを送っているようにも見える。
アプサラの足だろうか
踊り子の頭部が見当たらない
回廊の外側を半周ほどしたところで、内側に入れるようにと木製の階段が作られていたので、中に入って見ることにする。そして中に入って苦笑する。一気に観光客の数が増えたからだ。どうも少なすぎるとは思っていた。こんなに静かな訳はないと。どうやら一般的な入口から入ってすぐに回廊の中に入れるようになっているらしい。木製の渡り廊下のようなところ歩き、階段を登ったり降りたりすることで、ベン・メリアの中を探索することができる。それでも一人で歩いていると方向がよくわからなくなってしまうので、ガイドが一緒にいる人たちに後をつけて行ったりしながら見学をしていた。

また昔話になってしまうが、最初に来た頃は道路状況も悪く3時間近くかかった覚えがある。さらに、観光客などほとんど来ない時代だったから、木製の見学用通路などまったくなく、ガイドについて巨石の上を足元に気をつけながら恐る恐る歩いていた。クメール人たちのバランスの良さに驚いたのもよく覚えている。足を踏み外せば大怪我をすることは間違いなく、すべて自己責任で行動しなくてはならなかった。巨石の上を歩く。なるべく彫刻を足蹴にしないようにしたが、どうしてもその彫刻の上に足を乗せなければ次のステップが踏めないときもあり、心の中で謝りつつ足を乗せたこともある。まさにアドベンチャーだった。大変だったが良い思い出でもある。

そんなことを思い出しながらゆっくり歩いて回った。今でも場所に寄っては巨石の上を歩く必要の出てくる場所もあるが、やはり木製の渡り廊下のような所があるのは便利ではある。ただ、その分、昔ながらの雰囲気はずいぶんなくなってしまったような気もするが。
巨石の影にアプサラの姿
上部のレリーフは無残にも削り取られていた
そういえば、ドライバーさんがベン・メリアは中国人観光客客が多いのだと言っていた通り、確かに中国人が圧倒的に多かった。ドライバーさん曰く、ベン・メリアはオプショナルツアーでガイドとしては収入のためにもベン・メリアを勧めるからだとか。失礼ながら、中国や韓国からの観光客が多いと、どうしてもうるさくなるのであまり嬉しくはない。まあ、団体ツアーがメインなので、個人ツアーよりもさらにうるさくなってしまうのかもしれないが、近くにいるのに大きい声を張り上げられるとさすがにげんなりしてしまう。
帰りは東側の入り口に向かったのだが、そこには多くの車が駐車していた。ドライバーさんに電話をしようとしたら、すぐに目の前に現れたのには驚いた。彼らは目が良い。こちらがキョロキョロしている間にすぐに見つけてくれる。トゥクトゥクのドライバーもそう。さすがである。
夕方の5時頃にはシェムリアップに戻ってきた。さすがに疲れたので、夕食も取らず部屋でゆっくりした。そういえば、初日の夜以外、ほとんど夕食を取っていない。お腹も空かず、カンボジアに来ると食べすぎてお腹の調子を悪くしたりするので、夕食は軽く済ますか食べないことが多くなっている。その方が調子がいいのだ。

ぶれてしまったが、三つの頭を持つ像に乗るインドラ神
日本の帝釈天にあたるらしい

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