2015年5月2日土曜日

麗しき十一面観音 ~聖林寺~

談山神社からバスに乗り、聖林寺にやってきました。ここも本当に人がいません。バスが一日に七、八本しかありませんから、車がなければ余程のことがない限り、なかなかここまで足を延ばすのは難しいかもしれません。まあ、私にとっては時間をかけてでも会いたい十一面観音ですから、不便でも時間を持て余すことになっても訪れたい場所の一つです。

聖林寺の門

まずはともあれ十一面観音です。すらりとした体ですが、お顔はわりとふっくらしています。個人的に好きなのは手ですが、この手も意外にふっくらしています。そして、特に右手の形が優しい。何も考えずに右手を下ろしてあの形にはなりませんから、何らかの意図があるのでしょう。中指と薬指を若干曲げた形で、手を差し伸べようかとする瞬間のようにも見えます。

顔や体の剥落が激しく、特にお顔には剥落による筋がいくつか入ってしまい、なんとなく痛々しい感じがします。この筋のせいで、初めて写真で見たときはあまり魅力的に見えなかったのですが、初めて会ったとき、これは素敵な観音様だ、と思ったわけです。金ぴかの仏像はどうも好きではありませんが、作られた当初は金ぴかだったのでしょう。それは多分多くの仏像がそうだった訳で、今見る古い仏像がいいなぁ、と言っている私は本当の仏像好きではないのかもしれません。古刹もきっと同じことですね。それでもやはり、古刹や古い仏像を見て回るのは楽しいものです。それらを作った先人たちの思いを感じだい思いが強いのかもしれません。

バスの時間までたっぷりあったので、十一面観音を見つめながらいろいろ考えてしまいました。仏教とキリスト教の違いって、多神教か一神教だけのような気がして、よくわからなくなってきています。キリスト教は唯一の道はキリストのみと説きますが、仏教は様々な道があると説きます。神は存在すると信じてはいますし、自分はクリスチャンだとも思っているのですが、仏像を見、杉の巨木を見、お寺を巡っていると、わからなくなる、というのが正直な気持ちです。

まあ、そんなことを考えてもまだ30分近くもバスの時間まであったので、大和盆地、三輪山などが一望できるお寺の縁側でぼけっとしてました。今日も日差しは強いのですが、日陰に座っていると、吹き抜ける風はとてもとても気持ちがいいのです。贅沢な時間を過ごしていると思います。

聖林寺から見渡せる奈良盆地
聖林寺の庭
左奥に見える古墳は卑弥呼の古墳らしい

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