2014年12月10日水曜日

奈良と京都

どうも京都がしっくりこない。

久しぶりに京都に行ってきた。入ると思っていた仕事が入らないとわかったので、急遽京都日帰りパックを購入してしまった。紅葉もほとんど終了していたし平日でもあることから、それほどの人混みにはならないだろうとも思った。実際、ほとんどの場所では静かに見学することができた。

それなのに。奈良の方が好き、奈良に行けば良かった、と思っている自分がいる。

訪れた龍安寺は、たまたま中学校の修学旅行の団体と鉢合わせになり騒がしかったが、石庭はやはり心落ち着く好きな場所には変わりない。ほとんどの生徒が、石の数を数え、15個見えるとか見えないという会話に終始していたのには笑ってしまったが、15分ほどでいなくなったので、まあそれなりにゆっくりはできた。

大徳寺の四つの塔頭の石庭はほとんど誰も居らず、それこそ静かにゆっくりする事ができた。初めて訪れた大報恩寺の六観音の仏像も確かに美佛で素晴らしかった。

それなのに、である。京都にいるとなぜか落ち着かなくなってくる。どこかせわしない感じがして、ふぅ~、と息をつける感じがしないのだ。あまりにもたくさんの有名な神社仏閣と人々の生活がぎゅっと凝縮されすぎている感があるからかもしれない。それが京都の良いところだと言う人もいるだろう。ただ、私には合わないようだ。好きなお寺や仏像はあるので、たまには来たいと思うが、今のところ、心奪われるのは奈良のようだ。

そのような中でも、今回の日帰りパックで心が落ち着いた場所が一カ所ある。東寺だ。もともとはこぢんまりしたお寺が好きで、大きなお寺はやはり落ち着かなくて苦手なのだが、東寺は大きい割にはなぜか落ち着く。

一番好きなのは金堂だ。一般的には講堂の立体曼陀羅と呼ばれる21躰の仏像の方が有名かもしれない。それでも私は金堂の方が好き。まず金堂の建物そのものがいい。屋根の反り具合から柱の太さや組み方まで、繊細かつ堂々としていて好きである。さらに、安置されている仏像だ。薬師如来を中心に日光・月光菩薩が脇を固め、薬師如来の台座の側面にはずらりと十二神将が並んでいる。講堂に比べるととてもシンプルなのだが、好きな仏像たちばかりなので、ついつい見入ってしまう。さらに、自分の干支の神将がイケメンとあればさらにである。あまり人がいないのを良いことに、正面に座ってしばし眺めていた。

次に好きなのが、実は食堂だ。食堂は昭和8年の出火の際、本尊の十一面観音や四天王が焼けてしまった。その焼けて黒こげになった四天王が、現在の食堂に安置されている。高さ3メートル以上もある大きな四天王で、炭化してしまっているがすっくと立っている姿は勇ましい。腕は失われ、表情もほとんど読み取れないような状況にまで真っ黒になってしまっているが、なぜかその姿には感動を覚える。火にも負けない木の強さを訴えているような、そんな力強さを感じてしまう。

説明文には修復のための献金のお願いが書かれていたが、個人的には今のままで残して欲しいくらいだ。真っ黒に炭と化した姿でさえ、これだけ感動させられてしまう。もしかしたら、元の姿よりも感動しているのかもしれない。そんなことで、この食堂を意外と気に入っている。

外はすでに日が落ち始め、気温が下がり、風も強くなってきていた。雨雲が所々にあって、時折ポツリとしたものも感じた。そして見上げた空に大きな虹がかかっていた。最初のうちはきれいな半円を描いていた。

終わり良ければすべて良し、としておこうか。たぶん、当分は奈良通いの方が多くなる。でも、たまには京都にも来ようとは思う。そうしているうちに、少しは京都への思いはプラスに変わっていくだろうか。

木の影がなんともいい感じだった龍安寺の石庭
大報恩寺からの帰り道に寄った粟餅のお店 美味

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