2014年10月22日水曜日

釈迦念仏会 唐招提寺

京都から奈良へ。

午後の目的は唐招提寺で行われる釈迦念仏会に参加することだった。仏教に全く無知なので、○○会というのがお寺で催されることを最近知り、どのようなものなのか知りたくなっていた。個人的に気に入っている唐招提寺で釈迦念仏会が3日間だけ開催されるということを知り、興味本位で行ってきた。

午後2時から始まるということで、1時過ぎには唐招提寺に到着しておいた。釈迦念仏会は、いつもは拝観不可の礼堂内で行われるという事で、礼堂内にある普段は秘仏とされる阿弥陀如来像が特別に拝観できるようになっていた。しかしこの阿弥陀如来、真っ暗な逗子の中に立ち、ライトが足元しか照らされていないため、顔を見ることが全くできない。まあ、秘仏だし仕方がないのかなと思いつつ、一生懸命目を凝らしてみるがなんとなく見えたような見えないような。仕方がない。

1時半過ぎから少しずつ準備が始まり、拝観者は広間の端の方に座り、僧侶たちが位置に着くのを待つ。内陣の左右に五人ずつ、内陣の正面に一番偉いと思われる僧侶が座す。午後2時、鐘の音が響き、正面に座した僧侶がお経を唱え始めた。

全員で唱えることもあるのかと思っていたが、結局50分近くこの一人の僧侶がお経を唱え続け、他の僧侶たちは何らかの動きはあったものの、私には何をやっているのかわからないまま50分が過ぎていく。

正直、畳の上に50分近く座り続けているのは大変だった。正座はしなくても大丈夫だったので良かったが、やはり静かにするべきだろうしバタバタ動くわけにもいかない。少し足を組み替えたりはしたが、やはり背中がずいぶん凝ってしまった。

最後に大きな動きがあった。内陣の中央にある舎利塔が2人の僧侶によって外に運び出され、僧侶たちに続き参拝者たちにも拝観が許されたのだ。この舎利塔には国宝にも指定されている。その舎利塔を運んだ一人は、ロータスロードで説明をしてくれた石田僧侶だった。まあ、私のことを覚えているわけもないだろうが、こちらは勝手に「あ、石田僧侶だ」とちょっと懐かしくなる。

参拝者たちは皆、舎利塔に手を合わせ拝んでいるのだが、私にはそれができない。何もしない私を僧侶たちはどう思うのだろう。

中に戻ると、先程の阿弥陀如来も再度参拝できるようになっており、今度はライトが顔を照らし、しっかりと表情を見ることができるようになっていた。皆さんここでも手を合わせて拝む。頑なになっているつもりはないのだが、やはり手を合わせて拝むことができない。でも、この阿弥陀如来の顔は好きだった。滋賀の湖東三山の一つ、西明寺の秘仏を彷彿させる仏像だが、関係があるのかないのか私にはわからない。拝むことはできなかったが頭は下げた。会わせてくれてありがとう。そんな気持ちだ。

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