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2015年12月27日日曜日

麗しのアンコール・ワット

カンボジアに来て四日目。アンコールワットへ行ってきました。アンコールワットはもう数えきれないほど訪れていますが、今回も外すわけにはいきません。年末年始は一年の中でも一番観光客が訪れる時期です。どこへ行っても混んでいる状態ですから、一番人気のアンコールワットであれば言わずもがなです。ですから、人が多くいることは承知の上で訪れるのですが、その中でも人があまりいない時間帯を選ぶようにしています。

朝、七時にNくんの車に乗り込みアンコールワット向かいます。チケットブースで一日券を二十ドルで購入します。今回はアンコールワット以外の遺跡を訪れる予定はありません。行きたくない訳ではなくて、人が多すぎるので足が向かないのです。我儘な観光客だと一人苦笑しますが、静かな遺跡を知っているだけにダメです。

アンコールワットの写真を撮るのであれば、午後の時間帯がベストなのですが、そうなると参道は人々で埋め尽くされ、回廊もガイドの声があちこちに響き、静かにゆっくりからは程遠い状態になってしまいます。もちろん、朝早い時間帯も最近は人が多く訪れるようになってしまいました。それでも午後よりはまだいい、というレベルでしょうか。

アンコールワットの表参道にあたる西側からは入らず、あえて東側を選びます。やはり人が少ないのと、午前中であれば東側からの方が順光になって写真が撮りやすいからです。


アンコール・ワットの東側


東側にあるストゥーパ
それにしても、東側からの来訪者も増えました。今まではほとんど誰もいないときの方が多かったのですが、今回は少ないとは言え観光客の姿が見えないときはありませんでした。ただ、ときどき人の流れが止まるときがあるので、ふっと静かになる時があります。私は時間を気にせずいくらでも同じ場所にいることができるので、その静かな時間を待つこともできるわけです。これは一人旅の特権かもしれません。

当のアンコールワットですが、やはりすばらしいです。なぜこれほどまでに惚れてしまったのかわかりませんが、何度見ても飽きることがありません。均整のとれた五つの塔。塔好きだからなのかもしれませんが、アンコールワットは最高です。



スーリヤ(太陽神)

2015年8月25日火曜日

神へ捧げる踊りを舞うアプサラ 〜アンコールワットとバイヨン〜

初めてアプサラの踊りを見たのは初めてカンボジアを訪れたときですが、それ以来何度となくアプサラの踊りを様々な場所で見てきました。今のところのベストは以前にも書いたプラエ・パカアのアプサラですが、最初からアプサラの踊りに惚れこんだわけではありませんでした。カンボジアが好きだから、アンコールワットが好きだから、アプサラも好きだよね、というくらいの感覚でしかなかった気がします。それが何度も見ている間に徐々に変わっていったのです。

最初のきっかけは今思えば、アプサラの踊りを練習する子どもたちの姿を見たときかもしれません。あの優雅でしなやかな動きが実はどれほどの体力を要するのかを目の当たりにし、あの不自然な手や指の曲がり具合を小さなか頃からストレッチを繰り返してできるようにしている姿などを見たとき、どこか感動している自分がいました。高校生くらいの女の子たちがアプサラ動きを練習しているときでした。とてもゆっくり動く彼女たちの首筋に流れる汗は今でも鮮明に覚えています。

手の平の反りが普通ではないのがわかるでしょうか

はじめは不自然にしか見えなかったあの反り返った手の動きも、今ではその反り具合でアプサラの実力を測っている自分がいます。そしてあの反り返った手こそ、アンコールワットやバイヨンのレリーフに見られるアプサラの手なのです。それを今更ながら意識してしまい、その手を見たいと強く思ってしまったのです。

この手の反りがたまらない!?

アンコールワットのアプサラというと、西塔門の回廊や第二回廊、第三回廊の壁一面に描かれた立ち姿のアプサラの方が有名かもしれません。以前は彼女たちのことをデヴァターとも言っていたのですが、最近はどうなのでしょうか。あの独特の動きをしているアプサラは、第一回廊のレリーフの中でも特に有名な入会攪拌のレリーフにたくさん描かれています。が、今回はアンコールワットの中まで歩いていく元気も時間もなかったので、西塔門の内側にも施されたアプサラに焦点を当ててきました。こちらもあの反り返った手をして踊っているのです。

アンコールワットのアプサラ
この手の反りがまさにアプサラ
バイヨンでは、第一回廊の四隅と東西南北の入口に立つ柱にたくさん描かれています。時代が異なるからなのか、アンコールワットとバイヨンではアプサラの表情はどことなく違います。また、こちらもすべて表情が異なるので、ついつい自分好みの顔のアプサラの写真を撮りたいと、可能な限り、すべての柱の周りをぐるぐる見て回ってしまいました。表情がいいなと思っても、手の部分が欠けてしまっていたり、光の具合でうまく撮れなかったりと、なかなかこれといったアプサラに出会うことが難しかったです。工事の関係で入ることのできない場所もありました。そのような中でも、なかなかいい感じのアプサラの写真を撮ってきましたが。

バイヨンのアプサラ
小さな彫刻ですが手の平が反っているのがわかります
現在、実際に踊っているアプサラの舞は何度も見ていますが、当時のアプサラの舞がどのようなものだったのか、個人的にはとても興味があります。今となっては永遠にわかることはないのでしょう。さらに、クメール・ルージュの時代、伝統芸能の先生も9割以上が殺され、行方がわからなくなりました。そのような中、生き残った人たちが、伝統芸能を復活させようと努力し、ここまで蘇らせたのです。レリーフ残されたアプサラの絵から、動きを再現させたというのですから驚きです。

それぞれの伝統芸能をこれからも大事にして欲しい。そう強く思いながらのアンコールワットとバイヨンの再訪でした。

アプサラの間にお気に入りのガルーダが

2015年8月24日月曜日

風鐸の音色 〜ロリュオス遺跡群〜

午後3時にNくんと共にホテルを出発し、シェムリアップの街から10キロほど離れたところにあるロリュオス遺跡群を見学しに行きました。ロリュオス遺跡群には三つの有名な寺院があり、プラサット・バコン、プラサット・プレア・コー、そしてプラサット・ロレイです。機織りをさせてもらっている工房は昨年までバコンの近くにあり、ロリュオス地区にはよく行っていたのですが、寺院の見学は実は久しぶりです。

まずはロレイへ向かいました、ロレイは他の二つと少し離れたところにあるので、これは他の二つよりも久しぶりの再訪でした。レンガ作りの塔がもともとは5つあったのですが、完璧に残っているものは一つもありません。現在、修復中なのか、すべての塔に足組が組まれ、なんとも痛々しい状態でした。レリーフも破損していたり、失われてしまっていたりするものばかりでした。ただ、ある塔の入り口の柱に刻まれた碑文は一見の価値がありました。

ロレイの塔の破風

もちろん、読めません。Nくんも読めません。古クメール語で書かれているので、文字も変化してきていますし、単語も変わっているので、現代人には読めないのです。もちろん、このアルファベットはあれかな、くらいはわかるものもありますが、基本的にはまったく読めません。それでも、ここロレイの碑文は文字がとてもきれいだったのです。博物館や遺跡で様々な碑文を見てきましたが、これまた文字には個性が出るというか、それぞれの碑文の文字は異なります。素人の私でも、読みやすい字だな、とか、わかりにくい文字だな、という感想を持ちます。その中で、ここロレイに碑文の文字はとても整った綺麗な文字だったのです。

とても丁寧に彫られた古クメール文字
塔の近くには現代のロレイ寺院もあります。そして、オレンジ色の袈裟を着たお坊さんも何人かいました。塔の後ろに回ってみると、小さなオープンエアの小屋があり、子どもたちがお坊さんから何かを教わっているところでした。まさに日本の寺子屋のようです。見学はしても大丈夫とのことだったので、後ろから少し見学させてもらいました。何の勉強だったのかよくわからなかったのですが、先生のお坊さんは子どもたちにいろいろ質問したりしながら授業を進めていて、なんか楽しそうでした。

勉強中
お金がなくてなかなか学校に通えない子どもたちのための寺子屋のようですが、隣の部屋には15台ほどコンピューターまであり、驚きました。どうやら、なんらかのスポンサーやボランティアがいるようで、一応このような設備を整えることができるのだそうです。以前には日本人の日本語の先生もいたのだとか。小さな図書館と書かれた部屋には、確かに日本語の本も数冊置いてありました。

次に向かったのはバコンです。山岳寺院の一つです、個人的には好きな形の寺院です。参道を歩いているときでした。カラーン、コーン、カラーン、コーンととても澄んだ音色が聞こえてきました。近くにある現代のバコン寺院の屋根に取り付けられた風鐸の音でした。風が吹くと、とても綺麗な音色を響かせます。そして気付いたのです。人がいなくてとても静かだということを。

バコンの経堂と現在のバコン寺院

屋根に下がる風鐸

青空に映えるバコン寺院
バコンに残る有名なレリーフ
バコンの塔に残るナーガと昼間の月

ロリュオス遺跡群の三つの寺院すべても東向きに建てられている遺跡なので、写真などのことを考えると、やはり午前中がベストなのはわかっていたのですが、まさかこの時間にこれだけしんとするとは思っていなかったのです。人はぽつぽつは見かけました。ただとても静かなのです。だからこそ、風鐸の音がとてもよく響くのです。自分がいる場所で風が吹いていても、風鐸のある場所では吹いていなかったり、その反対だったり。遺跡に登りきったあとも、日陰に腰掛けてしばし風鐸の音色を楽しみました。日本の塔にも風鐸がありますが、あまり音色というのを聞いた記憶がありません。ここの風鐸が風に揺れやすいのか、私がただ日本の風鐸の音を聞きそびれているだけなのかわかりませんが、とにかくバコンの風鐸の音色がとても印象的でした。

バコンの最上階からの眺め

そして最後のプレア・コーです。こちらもとってもとっても静かでした。プレア・コーも5つの塔がありますが、こちらは修復が終了しているのか、5つとも綺麗に保存されています。破風などにレリーフも綺麗に残っているところが多く、門番のドゥラパーラやアプサラもそれなりに綺麗に残っていました。ここでも碑文が残されていましたが、やはりロレイとはまったく字体が異なります。そして個人的に嬉しかったのは、ガルーダのレリーフがたくさんあったことです。特に破風に残されたレリーフはなかなか見応えのあるものも多く、ガルーダも立派に残されていました。プレア・コーとは聖なる牛、という意味を持ち、塔の前に大きな牛の像が3体ありますが、個人的にはガルーダにばかり目がいってしまいました。

プレア・コーの名前の由来 聖なる牛
聖なる牛 ナンディン
プレア・コーの破風

後ろに立つ三つの塔

何を表しているのだろう・・・

5時半近くになり、西日がきつくなってきました。そろそろ遺跡見学も終了の時刻です。早朝と閉門直前。場所によっては静かに見学することがまだできるのだと、改めて確認できました。




早朝のバイヨン 〜シェムリアップ〜

アンコールワットの朝日を見学したあと、朝食をとる時間も惜しんでバイヨンへ向かいました。時間にして6時半くらいだったでしょうか。さすがにこの時間に観光する人はほとんどおらず、とても静かに観賞することができました。今回、個人的に見たかったのはアプサラですが、そのことについては、また別の記事に書くことにします。

いつもの通り東側の正面入口から入ろうと思ったのですが、なんと修復工事中で入ることができず、南側へぐるりと回ることになってしまいました。そういえば何かの記事で、バイヨンの入り口の両側にある経堂を修復していると書かれていたのを思い出しました。大きなクレーンもあり、相当大々的に取り組んでいるようです。それでも、バイヨンで有名なレリーフはしっかり見学ができるようになっていました。

すでに何度も見たことのあるレリーフだったので、さらりと見てから最上階に上っていきました。頭上にはすでに真っ青な空が広がり、その青空にあのクメールの微笑みをたたえた大きな顔があちこちに見られます。こちらも二つとして同じ顔はありません。それぞれが異なる顔をしていますので、ここでも自分好みの顔を探すのも楽しいかもしれません。部分的に崩れてしまっている顔もたくさんありますし、昔に比べると、顔の輪郭がわかりにくくなってきているとも聞いたことがあります。1000年もの年月が流れていることを考えれば仕方がないことなのかもしれません。自然による崩壊だけでなく、人為的な崩壊が行われていたことも事実ですが。


青空に映えるバイヨン
バイヨンにて
二つの顔が重なっています
それにしても本当に静かです。もちろん誰もいないわけではありませんが、午前中の見学時間もなると、人でごった返すこともしばしばだったので、この静かに見学できる贅沢を久しぶりに味わいました。周りの人を気にせず、同じ場所にしばし立ち続けることができるのも嬉しいことです。好きな顔、好きなレリーフは、時間を気にせず眺めていたいのです。アプサラ以外のお気に入りといえば、ガルーダです。ガルーダは半分が人間、半分が鳥という空想上の生き物で、日本の仏教の中でも迦楼羅として取り入れられています。

頭と下半身が鳥なのですが、なぜか可愛らしく見えてしまうのです。ガルーダはよく奇数の頭を持つ蛇、ナーガと戦っている様子がレリーフに用いられているのですが、その姿がまた可愛いのです。可愛い、というと語弊があるかもしれませんが、個人的にとても好きなレリーフの一つです。

日向にいると、南国の強い日差しが容赦なく照りつけてきて、じりじりと肌を焼いていくのがわかります。それでも日陰に入ると意外に過ごしやすいので助かります。最上階をぐるりと一周し、上ってきた階段とは別の階段を降りて、他のレリーフも見てまわります。大人の両手、頭の上で子どもが踊っているようなシーンはサーカスであろうと言われ、大きな体格をした二人が向き合って今にも組合そうなシーンは相撲だと言われています。バイヨンが建設された時代から、人々の娯楽としてサーカスや相撲のようなものがあったというのは驚きです。それだけ人々の暮らしが豊かだったということも言えるのかもしれません。


相撲の場面
サーカスの場面
全体像

西側で待っていてくれたNくんと合流し、私にとっては少し遅めの朝食を取りにいくことにしました。時間にして7時半頃です。午前中は人でごった返し、車が通過するのも大変な南大門も今はまだ数人の観光客がいるだけで、とても静かでした。

朝食はシェムリアップの街中まで戻ってきてから、Ly Ly Restaurant という以前にも訪れたことのあるところに行きました。もちろん頼んだのはバーイ・サイッ・チュルークです。ここのバーイ・サイッ・チュルークも美味しいのです。唯一残念なのは、私が好きなカンボジアの酢漬けが辛くて食べられない、ということくらいです。一緒にカンボジアのアイスコーヒーも頼みます。甘いのですが、これがまた美味しいのです。そして二人で5ドルです。

このあとはホテルで少しゆっくりすることにして、再度の出発は午後3時にしました。私よりも朝が早かったであろうNくんにも、ゆっくり休んでね、と声をかけて一旦別れました。私もこのあと2時間ほど寝てしまいました。午後は、久しぶりのロリュオス遺跡群を見学しに行きます。


ただただ美味しいバーイ・サイッ・チュルーク

夜の帳が開ける頃 〜アンコールワット〜

久しぶりにアンコールワットで朝日を見に行ってきました。八月下旬の日のでは5時50分頃とのことで、ホテルを5時に出発です。ということは、起床は4時半前。いつも早く寝てしまう私でも4時半というのはなかなか早い時間です。もちろん、迎えにきてくれるNくんはもっと大変ですが。

アンコールワットへ続く道は、すでに朝日を見に行く観光客を乗せた車やトゥクトゥクがたくさん走っています。チケットブースで一日券を20ドルで購入し、アンコールワットへ向かいました。真っ暗だった空がうっすらと明るさを増してきて、目を凝らすとアンコールワットのシルエットが見えるような時間帯です。Nくんは車で待っているとのことだったので、車から降りて一人でアンコールワットへ向かいました。

多くの観光客とガイドが照らす懐中電灯のおかげで、足元が見えなくなるということがないので助かります。西塔門をくぐると、視界が開け、アンコールワット全体の姿を臨むことができます。この瞬間はいつ来ても感動します。もう何度も訪れているアンコールワットですが、やはり素晴らしい建築物だと改めて思いました。

西塔門の回廊の壁面にずらりと居並ぶアプサラたちと一緒に朝日を待つことにしました。西塔門の南側にお気に入りの二人のアプサラがいるのですが、その目の前に腰掛けます。私が座った後すぐに両側が埋まってしまったので、早めに来て正解でした。ほとんどの観光客は、西塔門からさらにアンコールワット近くまで行き、北側にある池の前で朝日を待ちます。定番のスポットですし、池に映るアンコールワットも素晴らしいのですが、なにせ人だらけになってしまうので、最近は西塔門で見ることが多くなっています。

5時半頃に定位置に座ったのですが、まだまだ辺りは真っ暗です。太陽が上がってくるアンコールワットの方角だけ、うっすらと明るくなってきています。私の後ろにはお気に入りのアプサラが二人の、肩を並べて立っています。アプサラは二体として同じ顔を持つものがありませんから、それぞれ異なった顔立ち、表情をしているので、人によって好みも分かれるところでしょう。私が好きなアプサラは、ここ西塔門の南側に立っているのです。彼女たちはここで1000年近くも立ち続け、何万回もの日の出を見続けています。アンコールワットが人々の記憶から薄れていた時期も、ずっとここで微笑んでいたのです。何を思い、何を考えるのか、聞けるものなら聞いてみたい。ここに来るたびに思うことです。

白々と夜が明けてきます。アンコールワットのシルエットは本当に魅力的です。なぜこのような美しくて魅力的な建造物を建設することができたのか。適当になんかもちろん作れるわけがありません。測量技術はもちろん、設計から建築まで、その時代の智を結集して作ったのでしょう。そしてそれを指揮した王、スーリヤヴァルマンII世。どのような気性を持つ王なのか知る由もありませんが、アンコールワットを建設した、というだけで妄想が膨らんでしまいます。

最初は群青色の空です。それがどんどん明るくなり、太陽が昇る直前に雲は赤く染まり、そして太陽が顔を出して眩しい光を辺りに投げかけ始めます。今回思ったのは、群青色のときが一番神秘的かもしれない、ということです。雲が赤く染まるのも十分素敵なのですが、見終わってから思い返したとき、あの夜の帳が開けて行く群青色の空がとても強く印象に残っていました。


一番好きな色合い

アンコールワットの周りにはいい感じの雲も出ていて、その雲が赤く染まるのも十分綺麗です。今までの経験から、もう少し赤くなるかな、と変に待つと、急激に色を失って行くこともあるので、気をつける必要があります。それに、よく絵葉書や写真集で見るような色鮮やかな赤、というのは、一介の観光客が遭遇するには余程の幸運に恵まれているかしか考えられないこともわかっています。あのような写真を撮るためには、何日も通う必要があるでしょうし、最近はデジタル写真ということもあり、色の補正も相当加わっていることがわかっているからです。最初の頃は、あんな色鮮やかな赤色に染まる写真を撮りたい!と思っていましたが、最近はそのときの色で空は十分美しい、と思えるようになってきました。こんな写真が撮りたい、と思うことは大事ですが、この色の写真を撮りたい、とするのは自然に対して失礼かも、と思うようになってきたからかもしれません。


少しぶれました・・・
一瞬染まる雲
太陽が顔を出し始めました

大好きなアンコールワットです。人が多くても、周りがうるさくても、アンコールワットの魅力を失わせるものはありません。今回、中には入りませんでしたが、太陽が昇ったあと一応池のほとりまで行ってみました。ものすごい人です。ずいぶん帰って行ったあとにもかかわらず、人でごった返していました。池のほとりはまだまだ多くの人々で埋め尽くされていて、池に映るアンコールワットはちらりとしか見ることができませんでした。すごかった・・・。

このあとは、そのままバイヨンへ向かいます。

一番のお気に入り 一緒に朝日を眺めました
朝日が当たると金色に

2015年1月7日水曜日

コーケー その② カンボジア

プラサット・トムを見学した後、点在するいくつかの遺跡を見て回った。まずは、プラサット・リンガと呼ばれる祠堂だ。同じ名前の祠堂がいくつかあるのだが、その全てに巨大なリンガがある。祠堂そのものはそれほど大きいものではなく、今ではポツンと建っているだけなのだが、中にあるリンガはどれも巨大である。プラサット・トムのピラミッドの頂上にもこれ以上の巨大なリンガがあったのだろう。なぜこれほどまでに巨大なリンガが必要だったのだろう。リンガはシヴァ神の象徴でもあり、やはり権力を誇示するために必要だったのだろうか。ヨニと呼ばれるリンガの台座には、やはりガルーダの姿を確認することができる。ただ不思議なのはガルーダはヴィシュヌ神の乗り物なのに、なぜシヴァ神の象徴であるリンガを支えているのか、ということだ。日本に戻ってカンボジア語の先生に聞いてみたい。

プラサット・リンガ
次に訪れたのは、プラサット・クラ・チャップという遺跡で、ここは割合と広い。いくつかの祠堂が残されているが、ここの見所は綺麗に残っている碑文だろう。入口付近の柱に残された碑文ははっきりと残っているだけでなく、文字そのものがとても綺麗なのだ。今までに色々な碑文を見てきているが、やはり文字の癖などがあり見るからに美しい文字とそれ程でもない文字がある。このプラサット・クラ・チャップの碑文はとても綺麗な文字で書かれていた。昔の文字なので理解することも読むこともできない。ドライバーさんも一緒に来てくれて、この碑文の場所を教えてくれたが、やはりまったく読めないのだという。文字は今でも利用されているものが多くあるが、やはり単語などが異なるようだ。中をぐるりとまわるが、やはり崩壊が進み多くあるが多くの祠堂が崩れ去ってしまっている。残念だが仕方のないことなのだろう。

プラサット・クラ・チャップの碑文
プラサット・チュラープを簡単に見学したあとに向かったプラサット・ドムライは小さいながらも見応えがあった。ドムライとはクメール語で象を意味するのだが、ここにはまさにその象の像が4体残されていた。祠堂の四隅に立つ4体の象の内、2体が比較的綺麗に残されている。鼻の部分はやはり壊れやすいのか、割れてしまったところを重ねて補修されているが、胴体に施された飾りの鐘や首飾り、優しそうな目などははっきりと残されている。足は短めでどっしりと構えていながらも、可愛らしさも兼ね備えていて、京都の東寺で見た帝釈天が乗る象を思い出してしまった。また、1体だけライオンも残されていた。顔の部分は割れてしまっているが、体全体は綺麗に残っている。すべてのライオンそして象を見ることのできた当時は、とても素敵な祠堂だったのではないだろうか。

プラサット・ドムライの全体像

プラサット・ドムライの象
昼食の前にもう一つ祠堂を見学した。プラサット・チェンだ。チェンは中国という意味を持つのだが、この遺跡の名前が中国に関連することなのかはよくわからない。ここには大きな祠堂が5つ建っている。ずいぶんと崩壊が進み、前面がすべて崩れているものもあるが、なかなか立派な祠堂だったことは想像できる。彫刻も所々に残されており、クメールの神話(ヒンドゥー教の神話)をモチーフにしたものがいくつか確認できた。

さてお昼だが、プラサット・トムにいったん戻り、入り口付近にある食堂に行った。すでに多くの観光客で賑わっており、店員も忙しそうに動いている。ドライバーさんに何が食べたいか聞かれたので、無難に野菜炒め、と答えると、OKとどこかへ行ってしまった。イスに座りながらぼんやりと当たりを見回してみる。ドライバーさんは全然戻ってこない。どうしたのかと思っていたら、なんと自分で台所で料理をしているではないか。そして、豚肉入りの野菜炒めとクメールスープを持ってきた。自分で料理したんですか?と驚いて聞くと、今は客が多くてこのままだとなかなか料理が出てきそうになかったから、という。味はあまり良くないかもしれないけど、恥ずかしそうに言うが、なんのなんのとても美味しい。美味しいです、と言うと、照れながら、ありがとう、と言う。それにしても、自分で料理してしまうとは。それができてしまう食堂って・・・。カンボジアらしい、と言ってしまって良いものなのだろうか。



スープ・野菜炒め・コーヒー
ここで頂いたコーヒーも美味しかった。カンボジアの甘い香りのするコーヒーで、個人的には一般的なコーヒーよりも好きである。ただ、日本では売っているところを見たことがないので、カンボジアで飲むしかない。それでも、最近のカンボジアでは一般的なコーヒーを出す店も増え私からするととても残念な状況になっている。カンボジアのラタナキリという州がこのコーヒーの名産地なので、コーヒー(ラタナキリ)と書いてあると、私が望むコーヒーだということがわかる。普段はコンデンスミルクをいれて飲むのだが、今回はこのコンデンスミルクが切れているということで、普通の牛乳をいれて飲む。香りが良くて大好きである。

それにしても、この食堂の値段差は思いっきり観光客値段である。野菜炒めで6ドルもするのだ。700円と考えれば安いのかもしれないが、カンボジアの値段とすると完全にぼったくりである。地方に行けば2ドルもしない値段のはずだ。それも作ったのはドライバーさんである。なんか納得できない気もしたが何も言わずコーヒーと合わせた合計7ドルを支払う。野菜炒めの最後の一口分をもらったら、ドライバーさん、とても嬉しそうな顔をしていた。

食後に二つの遺跡を巡った。プラサット・ニエン・クマウとプラサット・プラム。ニエン・クマウとは黒い娘という意味を持つのだが、なぜそのような名前がついているのかはわからない。一つの祠堂がポツンと残っているだけだが割合と綺麗に残されている。
プラサット・ニエン・クマウ
個人的に気に入ったのはプラサット・プラムだった。プラムとは5という意味があり、ここには5つに祠堂が残されていた。そのうちの二つには大きな木の根が絡みつき、あたかも根が祠堂を縛り上げている、そんな感じだった。確かにこのような木の根や植物の成長が遺跡を破壊しているのだろうが、ここまでくるとこの木を切ってしまうと逆に祠堂は崩れてしまうのだろう。根によって崩れるのを防いでいるといっても間違いない。難しい状況だと思う。

プラサット・プラムの全体像

プラサット・プラムの一つの祠堂
これでコーケーの見学は終了だ。ブログの順番は逆になってしまったが、この後ベン・メリアに向かった。久しぶりのコーケーだったが、やはり来て良かったと思う。またここもどんどん変わっているのだろうし、観光客も増えていくのだろう。アンコール・ワット周辺に集中しすぎている観光客を分散させるためには、このような地方の遺跡へのアクセスや環境の整備が必要だ。今後、ますます静かに観賞できる遺跡は減っていくのだろうが、それは仕方のないこと。受け入れるしかないことでもある。ただ、遺跡にとってプラスとなるような変化であって欲しいと強く願っている。




2015年1月6日火曜日

コーケー その① カンボジア

久しぶりにコーケーを訪れた。シェムリアップからベン・メリアを経てさらに北東へ向かう。約2時間のドライブだ。しつこいが、本当に道が良くなった。2時間でコーケーまで行けてしまうなんて信じられない。実はコーケーと言っても遺跡が複数存在する場所なのだが、有名なのは何と言ってもプラサット・トムと呼ばれる寺院だろう。ここには大きなピラミッドがあり、その頂上からの眺めは最高だった。ところが、元々の階段が崩れてしまい、何年も登ることができない状況にあった。ところが最近、新しい階段を設置し、上まで登れるようになったと聞き、再訪しようと思い立ったのだ。

入場料は一人10ドルだ。高いと思うか妥当と思うかは、まあ人それぞれだろう。まずはプラサット・トムに向かう。ピラミッドの東側にある祠堂の部分はやはり相当崩壊している。以前は近づけた場所も危険と判断されたのか、ロープが張られて入れないようになっていた。他にも応急処置的に祠堂をロープで固定したり、木材を使って崩れないように固定したりしている部分が目立つ。ある回廊では片側が一列の柱がすべて横倒しにもなっている。頭部と胴体とが割れてしまっている聖なる牛ナンディンもあった。欄干の役割をもつ聖なる蛇のナーガも斜めに倒れてしまっている。それでも、所々に残る破風の彫刻はまさにクメールの彫刻で、見知った絵柄も多い。中央部分は煉瓦造りの塔がいくつもあったようだが、なんとか形を留めているには5塔ほどしかない。
倒れてしまった柱
すべてが巨石にに埋もれる
ナンディンの頭部
そんな祠堂を抜けていくと、前方の視界が開けピラミッド型の寺院が姿を表す。7層になっているこのピラミッド。初めて見た時は、さすがに驚いた。近寄って見てみると、正面にあった階段がずいぶんと崩落している。これでは登ることは不可能だ。歩道に沿ってピラミッドの右側に歩いて行ってみると、木製の階段が取り付けられていて、頂上まで登れるようになっている。もちろん登る。そして、もちろん息が上がる。

プラサット・トムのピラミッド

プラサット・トムの頂上に埋もれる巨大なガルーダ

頂上からの眺めは素晴らしい。周りには何も遮るものがなく、見渡す限りのカンボジアの大地が目の前に広がる。山もなければ何もない。真っ平らの大地が360度広がっている。そして、頂上には巨大なガルーダがいる。元々は頂上にあった巨大なリンガの台座を下から支える形をとっている。綺麗に残っているのは2体のみだが、その2体も腰から下は土に埋れてしまっている。他のガルーダに至っては、崩れてしまって何とかガルーダであることがわかるくらいになっているものや、まったくその形をとどめていないものもある。当時の姿は相当迫力があっただろう。まさに権力の象徴でもあったはずだ。

しばし崩れた巨石に腰をおろして周りを眺めていた。できれば長めに座っていたかったのだが、吹く風は心地よいとはいえ、太陽の影になるものが何もなく、さすがにこの時期でも太陽の日差しを浴びているのはきつい。

ピラミッドから降りて、またゆっくりゆっくり祠堂を見て回りながら戻る。

そういえば、クメール人たちの観光客がずいぶん訪れていた。土曜日だったからかもしれない。多くは食べ物や飲み物を持参していて、どこかのスペースでピクニックでもするのだろう。私のような外国人観光客は、プラサット・トムの入り口付近にある食堂で昼食を取る。このことは、他の点在する遺跡の話と共に次のブログで書こうと思うが、初めて訪れた時は弁当を持参してきた。まだ、地方の食堂で食べるのは衛生的にもまだダメだろう、と言われていた。それが今ではバンテアイ・チュマールでも現地の食堂で食べるようになった。衛生面が向上したのか、私のお腹が慣れてきたのか。一応、今のところお腹の調子は悪くない。

お昼頃には、外国人観光客の姿も増えてきたが、朝一で来た甲斐もあり、静かに観賞することができたのが良かった。外国人観光客が増えたとは言っても、ベン・メリアに比べればまったくたいしたことはない。静かな場合が好きな者としては、いつまでもこうあって欲しいと思うがどうなのだろう。